Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

追記・・・代表的日本人の一人「二宮尊徳」について尊徳記念館を見る 2

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二宮尊徳誕生の家 説明板

昨日の続きである。

お久しぶりに例によって、以下に説明板の内容を書き写す。まあ、画像からは読み取りにくいからなぁ。

二宮尊徳誕生の家

 二宮尊徳は、天明七年(一七八七)七月二三日この家で誕生した。
 この家の最初の建築年月は明確ではないが、おそらく尊徳の祖父銀右衛門が、
兄の万兵衛から分家してその南隣に建てたもので、それは寛保二年(一七四二)
か、それより数年前と推定される。
 尊徳の父利右衛門が銀右衛門から家督を譲られた頃の二宮家は、二町三反六
畝余の田畑を所有する中流農家で、この家は江戸時代の中流農民の住宅の典型
的なものと言うことができる。
 尊徳が書いた「田地請戻之事」によると、父母をなくして一家離散の悲境に
陥った際に、居宅、家財、諸道具、衣類まで売り払って金にかえたとあるので、
その時この家は人手に渡ったものと思われる。
 昭和三四年、尊徳記念館建設第二期事業として、当時この家を所有していた
渡辺家から譲渡を受け、昭和三五年九月二〇日、横浜国立大学教授工学博士大
岡 実氏の指導によって、この誕生地に元の姿で復元した。
 昭和三八年、神奈川県重要文化財に指定されている。

                          小田原市教育委員会

左に間取り図

注:改行は説明板に合わせてある。

 つまり、以上のようなワケである。隣接の尊徳記念館には資料が展示されていて、有料ではあるがこの地域の当時の様子などもあわせて展覧することが出来る。駐車場は道を挟んで反対側にしっかりと用意されている。

 

数年前、尊徳記念館に入場した時は、係の方がとても丁寧な解説を伺うことが出来た。歴史好きならばなおさら、ワクワクしたお話が聞けるだろう。いや、本当に充実した時間が過ごせたんですな、その時は。ちょうと客人を連れていたので、その方も大喜び。その客人は図書館司書を仕事とする人だったんで、博物館とか図書館の運営にも博学の方でしたなぁ・・・尊徳記念館、いい施設だと、感心されてましたな。

でも・・・平日の間抜けな時間に行くと閑古鳥という感じ。ということは密集を避けるべき昨今の状況では、狙い目の施設ですな(なんてコト書いて、殺到するとマズいんだが・・・当ブログのアクセス数では、まず心配には及ばないだろう)。

 

さて、昨日の当ブログで「二宮尊徳誕生の家」のメンテナンスに関して疑問を書いたが、その後、幾つかの情報を見つけた。小田原市のWeb.情報に「二宮尊徳生家といろり燻蒸について」というのがあったのである。

 

先ずは基本的な情報として・・・

新型コロナウイルス感染症対策のため、開館時間を午前10時00分〜午後4時00分に変更。建物内に入ることはできない(当分の間、建物の外側からの見学)。そして、尊徳生家敷地内は10名以下の入場制限ということである。

 

いろり燻蒸

二宮尊徳いろりクラブ」というボランティアグループがあるようで、尊徳生家の良好な保全を目的に、定期的にいろりで火を焚いているそうだ。毎週第2・第4土曜日の午前9時00分〜午前11時30分の間に行なっているという。「この生家や尊徳についてのご案内も行っています」とあるから、ワガハイが数年前、丁寧な説明に感動したのは、このボランティア活動の恩恵を受けたんだろう。

 

尊徳記念館を訪れたら、周辺を散策するのもいい。尊徳ゆかりの場が、幾つか点在している。

松苗植栽地跡
油菜栽培地跡
捨苗栽培地跡
坂口堤
善栄寺(尊徳一族墓所)

小田急線「栢山」駅を降りてポツポツ巡って行き、尊徳記念館で解説を聞くことが出来たなら、充実した一日散策コースになるだろう。季節を選べば菜の花が咲き、雪姿の富士山を眺めながら歩けるからなぁ・・・今の季節は、暑すぎて散策はお勧め出来ないですな。