だらしなく撮りためた画像データを、幾らか整理しようとしたんだが、すぐに嫌になる。なんて言うか・・・カメラ持って歩けば、ナニガシカは撮る。そうしてたまっていく。で、鳥越神社の画像が見つかったのである。
本当は、だいぶ以前に撮影した「二宮尊徳誕生の家」の画像を探しているのだ。でも、妙なんだが見つからない。ひょっとしたら・・・フィルム撮影だったかもしれない。
重要な撮影っていうのは、別にインデックスを作ってあるのだが、日々、適当気ままに撮影したものというのは、撮りっぱなしだからなぁ・・・RAWデータのままだったりするからなぁ。
そういうワケで、本日は突然「鳥越神社」だ(見つけた時に使わないと、また分からなくなるからねぇ)。
東京都台東区鳥越・・・浅草橋駅から歩くか、蔵前から歩くか?新御徒町という駅なんて、ワガハイが若かった頃には無かったからなぁ・・・結局使いこなせない駅なんである。ならば秋葉原から歩いてしまった方がイイ。
神社そばには「おかず横町」というのがあって、飲食店もイイ感じのがありますな。
一時、割と印刷を依頼した「東京カラー印刷」って浅草橋だったけど、鳥越神社の道挟んで反対側だったんだねぇ・・・などと、あらためて感心していたりするんだな。その神社に面した道が「蔵前橋通り」で、やっぱり東京っていうよりも江戸って言ったほうがシックリくるような地名ですな・・・鳥越。
こういう説明板があった。例によって読みづらいと思うので下に書き写しておく。
旧町名由来案内
下町まちしるべ
旧 浅草鳥越(あさくさとりこえ)二丁目本町名は、鳥越神社にちなんで付けられた。この付近は平安時代後期の頃(一一八五)まで白
鳥村と言われていた。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定のため東征するおり、この地にしばらくとどまった
ことから村の人々はそのご威徳を慕い尊び、白雉二年(六五一)白鳥山の山上に白鳥大明神を祀
った。その後、永承(一〇四六~一〇五三)の頃、源義家親子の率いる軍勢が奥州征伐のため大
川を越えようとする時、白い鳥に浅瀬を教えられ無事渡ることができた。義家公はこれ白鳥大
明神のご加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
「鳥越夜祭り」
六月九日に近い日曜日に鳥越神社の「千貫御神輿」が氏子によって町内を練り歩く。なかで
も見ものは宵の宮入である。火入れ式のあと氏子衆によってかかげられた百数十の高張提灯と
担ぎ手の熱気によって祭は最高潮に達する。旧町名区域図
旧町名位置図
コロナ禍の為、縮小したかたちで祭礼が行なわれたようだ。伝統的な、大切な、守り伝えるべき祭もフルスペックで出来ない。来年は少しでも完全に近いかたちで行なうことが出来ると良いのだが・・・。そう願うならば、細心の注意を払って生活を続けるしかないんだがなぁ。収束が遅れるほど、いろいろなモノゴトが壊れていくことになる。祭って、単に人々にとってのガス抜きではないからなぁ。「旧町名由来」を読んでみれば、なんとなく祭の意味合いが感じられるものだ。
鳥越神社(とりこえじんじゃ)
台東区鳥越二丁目四番一号当神社は、白雉二年(六五一)の創建。日本武尊、天児屋根命、
徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時
白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民
が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。後、永承年
間(一〇四六-五二)、奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)
鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知ら
ぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡った
ということから鳥越大明神と名付けた。以後、神社名には
鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ば
れるようになった。天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原
氏がその祖神として祀ったものとされる。また、徳川家康を
祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東
大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。千貫神輿といわれ
る大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正
月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有
名である。
平成十一年三月
台東区教育委員会
英文の書き写しは・・・まあ、省略ということで。
〈徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東
大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された〉と説明にあるが、大雑把に言って台東区立精華公園西側辺りに松平神社があった、というコトなんだろう。鳥越神社から徒歩5~6分といったところだ。
関東大震災による火災は、江戸の街を焼き尽くしたといわれるが、そりゃあ、今の街を歩いてもなかなか想像は難しいのだが・・・密集する木造建築が延焼していく・・・隅田川に逃げる・・・辛うじて神社の敷地に逃げる・・・そういう地獄図絵の現場だったんだろうねぇ。
何時の時代も、なかなか平穏な日々っていうのは続かない。また、続かないようにしてしまう、と思う。