昨日の当ブログだが、お題目の意図からすればちょっとズレている内容だったねぇ。まあ、直球勝負のレポート出せなかった若い頃の自分とナ~ンにも変わっちゃいないんですな。
医者ネタは多いんですよ!なにせ病弱でしたからな。幼少期から生命の緊急事態において、救ってくれたのはお医者様。中には酷ぇ医者もいたがね。
「この子は大人になれない」
と、ワガハイの目の前で言う医者もいた。ガキだからとバカにしおって!それ位は分かるわなぁ(まあ、ある意味いまだに大人げないか?)。
「私が執刀すれば助かるだろうが、飛行機だって落ちる・・・」(本日は1985年の御巣鷹山事故を思い、祈りを!)
と言ったのは、新宿の方にある某大学病院の著名な大先生だから、ワガハイはガキの身ながら
「アンタに切られる位なら、死んだ方がマシだわ!」
と啖呵を切ったはいいが、親からは怒られるわなぁ~。ま、別の病院が見つかって問題無かったんだが、その病院の院長が責任感じて毎日ICUのワガハイのところまで見舞ってくれて、
「医学は絶対ではないが、私達は貴方が生きることしか前提にない。そのためにベストを尽くしています。飛行機を墜落させようとしているパイロットなどあり得ません(ま、例外的に逆噴射機長もいたけれど)。医学に関わる者として、同胞の不注意な発言をお詫びします・・・」
といったコトを話すんですな。
ま、どんな世の中、政治体制、業界においても「てめぇ~コンニャロ~」的な人は居るけれど、ちょっと目を移せば尊敬すべき人もおられる。信頼のおけるかかりつけ医に出会えるというのは、人生のある時期からは大切だと思いますな。ワガハイも、喘息発症によって信頼出来る呼吸器内科医に巡り会うことが出来た。この先生、なんかワガハイと同年代っぽい・・・そして経歴など見てみると高校時代の仲間の・・・中学校、同じみたいなんですな。
「あの・・・先生、○△君って知ってます?」なんて言ったら最後、面倒なことになるかもしれないから、この件はジ~ッと黙っておる。
ワガハイの窮地を救ってくれた医師も、多くは天で休息されている。退職された方も多い。そして同年代の医師や、年下の医師が多くなってきた。世代交代を実感しますな。そして思うんだが、なんか、若い人の方が圧倒的に優秀ですな。ナニが優秀か?と突っ込まれると困るんだが、ナンかねぇ・・・若い人見ていると眩しいですな。そういうコト言ってた老人がいて「ナニ言ってんだクソオヤジ!」と思っていた時代もあったんだが、ワガハイもそういう年頃にいよいよなってきましたな。
そしてこの言葉を思い出すんですな。
後から来るものが先になる
ま、これは正確な言い方ではないが、出典ではこうなる。
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。(マタイによる福音書 19章30節)
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(マタイによる福音書 20章16節)
しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。(マルコによる福音書 10章31節)
そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある。(ルカによる福音書 13章30節)
日本聖書協会 新共同訳
まあ、価値観が逆転するという構図がいたるところで見つかる聖書世界である。そんなワケで、一つのコトを表から見たら裏から見るというコトをワガハイは覚えましたな。それで酒の入った猪口を、裏側から見ようとして溢すというようなドジもありましたな。それはさておき、そのココロはどこなんじゃ?
ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(ヨハネによる福音書 01章15節)
『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。(ヨハネによる福音書 01章30節)日本聖書協会 新共同訳
言うまでもなく、この言葉(『 』内)を語ったヨハネは洗礼者ヨハネである(洗礼者ヨハネはカッコイイよなぁ・・・ワガハイが役者だったら演じたいなぁ)。そして書いたのは福音記者ヨハネである。同じヨハネでも別人なのでヤヤッコシイ。それだけヨハネはありふれた名前だったワケだ。英語ならジョン(John)だからねぇ・・・“一郎”みたいなもんだろう。
聖書っていうのも、まあ、取っつきにくい書物ではある。分厚いしね。で、な~んの予備知識もナシに読んだら理解困難な箇所も多い。延々と系図を書かれたりすると、もうナンダカ分からなくなってくる。最初の頃は真面目にアブラハムの系図なんて書きながら読み進めていったりしたもんだが、やってられなくなるのが普通だろう。
サクッと通読してしまうというのが、先ずはお勧めですな。部分的に納得のいくコトだったり、酷い話も一杯あるからね。でもまあ、現在でも概ね読めるっていうのは、もちろん翻訳のお陰ではあるんだが、人間が大昔とさほど変わってないところも多いという証しでもあるだろう。ということは・・・今もなお、この書物に書かれたコトは起こり得るし、参考になる教訓は多いってぇヤツだ。
読解するにはやっぱり基本的な神学が必要なところはあるんだが、宗教に関係なくクリアーに読んでみるというのもアリだと思いますな。この書物の論駁として西欧哲学があったりするから、ああ、あの哲学者はこの辺りを突いているのだな?なんて読み方も出来る。そういう意味ではニーチェなんてギャグみたいなところがあり、ですわな。
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お~っと!ダラダラ脱線するように書いていったら2000字を超えてしまった。では、本日書いておきたかったことを〆に・・・
金メダル噛んじゃった事件で、メダル交換かぁ・・・ま、交換すれば済むというもんでもないが、そんなに噛みたいならばこういうメダルを市長さんに授与されたら良いかもしれない(ご自分で作れってか?)。
水に浮くミントの香り付きの玩具とか、リアルなのでは「無添加エゾ鹿角20㎝」なんていうのもあるんだねぇ。なんか、こういうものでも噛んでもらって、あまり失態をなされないようにストレス解消されるのも宜しいかと思うんですがねぇ・・・
噛むならば、噛むためのものを噛む。政治家ならば、噛みつくべきところは別にあるんじゃないの?という気はするんだが、ま、とりあえず・・・イヌの玩具は2000円台で購入出来るみたいだな・・・楽天で。