Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

聖ヨハネさんの記念日なので・・・鍋磨きプラス一時間の結果

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昨日は鉢植えブドウの冬季剪定を行ったコトについて書いたのだが、このブドウの剪定を行っていると毎年思う・・・枝に繋がるのはナカナカ困難だと。そして一枝に付けさせる房は一房が原則だというコト。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。ヨハネによる福音書15章02節(新共同訳)

房を沢山付けさせて大量収穫を目論むと甘い実が付かない、色付きが悪い、といったばかりではなく、樹体が保たなかったりする。だから、良い房を得る為には一枝に一房だし、もっと正確に言えば葉面積に対しての房数になる。そりゃあそうだろう。光合成の能力以上に房を付けさせてもダメだよな。
ブドウの樹は、実際に実らせるコトが不可能な量の花を咲かせるから、適量になるまで引き算をしなければならない。その引き算は人間の仕事で、人間のより多くを得たいという欲望との葛藤が起こる。特に栽培を始めたばかりの頃はね。
花は摘み、実が大きくなり始めれば摘粒して一房当たりの適切な粒数に整える。余計な枝は剪定して、効率的に葉に日光が当たるようにするし・・・

引き算ばかり・・・。

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。ヨハネによる福音書15章04節(新共同訳)

主幹に繋がるというコトを「わたしにつながり・つながれる」とすれば、大概の枝は繋がるコトが出来るものの、徒長枝は真っ先に切られるというのがブドウ栽培に当てはめるとナカナカ意味深である。突出せずに中庸を行くなら「論語」の記述を思い出す。

まあ、その中庸とは凡庸ではなく、ナイフリッジを歩くような話しだろうとワガハイ的には受け止めているけど、この手の話しは実際問題としてはど~にもならん。悩ましい人生の問題を提起してくれるのだ。

知らぬが仏・・・という有り難く便利な言葉もあるではないか!

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。ヨハネによる福音書15章05節(新共同訳)

生きるコトについて、ブドウを例えにして語られる言葉だ。確かにイースターの頃に芽吹き、昇天日頃に花が咲き、盛夏の頃は伸びすぎた枝を切る夏季剪定と誘引作業に慌ただしく、収穫をする頃にはクリスマスの準備を少しずつ始め、ワインの新酒が出来上がり、その酒質が安定してくれば待降節である。

呑兵衛のイエス・キリスト像が浮かび上がるのは、教会暦とブドウの栽培暦が概ね一致することもあるか?まあ、そういう風に位置付けられたというコトではあろう。

古代から、ワインは特別な飲み物だったんだからねぇ。

わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。ヨハネによる福音書15章06節(新共同訳)

まあ、切り離されれば枯れるのは道理。焼かれてしまうという記述は恐ろしいようにも思われるが・・・剪定した枝や落葉は、畑から離れたトコロで焚き火にして、その灰を土に還すのも道理。ミネラル豊富な栄養分にかわった枝葉は、再び根から吸収されて枝葉を作り上げる。そうした循環に人間という動物も位置付けられているのが本来的な姿だった。

現実問題はあるが、やっぱり火葬では・・・この循環の完成は失われていってしまうな。先祖が眠る土地・・・そんなモンはもうない。ワガハイの祖父達は「富士霊園」だ。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。ヨハネによる福音書/ 15章 07節(新共同訳)

ま・・・教会に繋がっていろ!と言われているワケではないトコロがミソ!時に教会もまた偶像的であろう。

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今年は宝くじが1万円当たるというコトがあったが、別にコレは「そうすればかなえられる」という上に引用したコトとは関わりのないコトではある。まあ・・・福音書全体の中における部分の言葉として「望むものを何でも願いなさい」を捉えれば、望むコトはただ一つ!

戦争終結

ウクライナの方々、争いを好まないロシアの方々、そして世界中の方々に幸いがありますように。

 

そういうコトを考え、思いながらゴシゴシと鍋底磨きを追加すること一時間・・・

ここまで落ちた

カインズホームで購入した焦げ落とし専用洗剤については、先日書いた。

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まあ・・・聖書記述についてアレコレ思いながら手を動かしたらココまで落ちてきた。つまり、コレがワガハイの信仰の力である?信仰が救った安物の鍋ながら、コレもまたワガハイの命の一部を支えてきた鍋である。一人暮らしを始めて以来、結婚してからも、今日まで味噌汁用の鍋として使われてきたんである。

IH対応の鍋じゃないからねぇ・・・コレだけ頑張って焦げ落とししたんだから、当分はIH化出来ないねぇ。

この容器に入って売られている

12月27日は「福音記者聖ヨハネ」を記念する日というコトで、ヨハネによる福音書から幾つか引用してみた。呑兵衛根性から読解してみる福音書っていうのも興味深い。ワインとブドウが大好きならば、読んでみるのもオススメ。まあ、深い意味なんて追求しなくてもイイとして、昔からワイン好きの求める香味世界が変わらんコトも分かるなぁ。