昨夜、つまり土曜日の夜って、見てもいいテレビ番組がない。それで仕方ないから「おとなのEテレタイムマシン」というのを見た。
っていうか、チャンネルを変えていったらやっていただけ。
なんと「N響コンサート 中村紘子/1981年 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番」の1楽章途中からだった。
このところ連チャンで登場のピアノ教師Fさんは、中村紘子嫌いだったからな。
ま、Fさんとは真逆の価値観の中にあった人だと思うから。
で、ワガハイ的にもFさんの意見に同感する点が多いので。ただし、この演奏の見方聞き方を変えれば面白いと思った。多くの聴衆が求めるエンタメ性についてならば、Fさんの意見に勝ち目はない。Fさんのスタンスでは興行成績は芳しくない・・・というか、大ホールを埋め尽くす観客動員は無理だろう。少なくとも日本では。
その1981年のコンサートは、中村紘子さんもまだ若く、恐ろしくエネルギーに満ちていて、恐怖を感じてしまうような腕と指の速さで、まるで機械のように弾きまくっていた。それは日々の研鑽の賜物であり、超絶技巧は人間国宝が作り出す卓越した工芸作品にも匹敵する完璧に近い完成度の製品、といったように感じられた。
ま、それはソレの世界観なので否定はしない。それはソレとして楽しめばイイんである。
この言い方自体が批判的となるか・・・
昔々、中村紘子さんの旦那様である庄司薫さんのエッセイだったと思うが・・・不正確な記憶だが・・・5年?10年でスタインウェイを弾き潰してしまう?んだっけ??飼っていた猫が、その練習の強烈な音量で逃げ出すとか、書かれていたと思う。
たぶん、その練習の横に居たとしたら、騒音としか感じない程に強烈な状態だったんだろうなぁ。
恐ろしかぁ~~~!
この話をFさんにしたコトがあった。
「壊れるでしょうねぇ~~」
はぁ~~~
「スタインウェイって、相当に丈夫ですよ!」
はぁ~~~
「それをお壊しになる・・・彼女、指とか手首にダメージ受けないのかしらねぇ?」
はぁ~~~
「私だったら、スタインウェイが壊れる前に私が壊れます!アッハッハッハ~~~!!」
・・・・・・
「でも、彼女は壊れないのねぇ・・・余程身体が強いのか、幼少期からアスリートとして育てられてきたのか・・・でしょうねぇ」
こんな感じて、とぎれとぎれにFさんは語っていたなぁ。そして芸大のピアノ科の生徒さんに、コレほどではないけれどアスリートさんがおられて、とにかく弾きまくるのだそうだ。そして驚くほど指はまわるらしい。
だが、表現が・・・・・・・・・ない!
恐ろしかぁ~~~!
その点を教授に指摘されたとかで、Fさんの門を叩いたというコトだった。
「結局、彼女は聞いてないんです。自分の出した音に対しての責任がなかった。出しっぱなしの無責任でした。」
コレは手厳しい批評だ。ほぼ全否定であり、下手すれば人格否定までされた気分になりそうな言葉だ。
で・・・確か左手だけでゆっくりと、ナンという練習曲かは知らんが弾くコトを繰り返させたという。レッスンの度に左手だけ、しかも極めてゆっくりと。そして彼女の口から出てくる言葉、或いは音に新しい変化が訪れるのを辛抱して待つことにしたらしい。
「ま、バカにされていると思って来なくなる方もおられます。でも、その彼女は辛抱に耐えましたねぇ・・・聞きなさい!とはどういうコトなのか。もう技巧はあるのだから、気付いた瞬間から音が変わります。それでもう・・・私のレッスンは終わり。」
Fさんは左手問題以外にも、息(ブレス)と拍(タクト)に関しても厳密な人だった。その重要性についても多く語られた。コレはまた、稿を改めて書けたら書いておこうと思う。
それにしても中村紘子さんのチャイコフスキーは凄いコトは凄かった。あの腕と指の動きを見てワガハイが連想したのは・・・エンジンブロー!
それは高回転でエンジンを回し、しかもレッドゾーンまで回してバルブサージングを起こしてしまう寸前の状態を見ているみたいな・・・イメージ。
ありゃ、スタインウェイのアクションも、場合によっては破壊されてしまうかもしれない。しかもフィニッシュは・・・山下洋輔さんも真っ青!だよねぇ~~。
恐ろしかぁ~~~!