Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

なんか不気味だったねぇ・・・人穴富士講遺跡 (3)

昨日に続き、人穴富士講遺跡の三回目。

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先ずは戯言・・・

ワガハイの祖父母は、横浜空襲で多くのモノを失った。ただ、そういうコトを危惧して家財や重要なモノを田舎に引越しし始めていた矢先の空襲だった。最初に動かした荷の中に写真アルバムがあったのは、我が親族としては後々の幸いだった。

仏壇は焼けた。ゆえに位牌も焼けた。だが、アルバムが残ったので曾祖父母の姿も不鮮明ながら見られるし、祖父の子供の頃の姿も見るコトが出来た。

祖父は「位牌よりも写真だ」と言った。祖母は老いて呆けるまで、ナニかと言うと位牌を焼いてしまったコトを悔いていたが。祖父の方が近代的発想の持ち主で、祖母は古風だった。

 

伝統的な宗教は、写真が無かった頃の記憶や記録だった。つまりソレはコードだった。価値観を定めていくだけではなく、記憶と感情の共有装置という面もあった。それを信ずる者たちは時代を超えて繋がっていく・・・というのは錯覚かもしれないが。そもそも検証不可能なコトだが。

写真は、近代の価値観を作って行ったひとつの技だった。それはあらゆる価値観を超えて共有出来る証拠として機能出来るものだった。

コレがソレです!

そういうコトによって、多くの問題が解決するかもしれないと思ったかもしれない。

だが、一つの事象を前にした時に、それをどの様に受け止めるのかは、あまりにも多様なのだ。それをそれなりに精密に統合出来るのが宗教観だったりするだろう。それは無神論者は無神論者として。

 

ワガハイは、この富士講が何たるか(身体性)を知らない。勿論、文字上のコトは調べれば分かる。だが、信仰とはエモーショナルだ。結局のトコロ、そのエモーションに行き着くコトは出来ない。幾ら調べたとしても手前で失速してしまう。

 

おびただしい数の碑塔群

エモーショナルな問題だけに、強烈に増大する時はそのようになる。とにかく圧巻の量で迫る碑塔だった。

「碑塔群」の説明板

・・・富士講が隆盛する18世紀中頃から、人穴は霊地(西の浄土)として信仰されるようになり、18世紀末以降、現在の東京都・埼玉県・千葉県を中心とした関東地方の富士講の人々によって碑塔が盛んに造立された・・・

物量というのは、やっぱりエネルギー量が違う。その熱量の大きさに自然と頭が下がる思いがした。

少し小高い展望台?のようなトコロがあった。

「富士山と人穴」説明板

富士講の開祖長谷川角行は、溶岩洞穴人穴に極楽地獄があるといっており、人穴は浄土への入口で仏が生まれる清らかな所だとして自ら入寂したとされる・・・

ワガハイは円空を念頭において、この入寂を思った。

日が傾いてきた・・・

8月とはいえ、だいぶ日が短くなってきた。そしてこの場で暗くなるのは避けたい。もう少し幾つかの碑に書かれた文字を追ってみたい気持ちもあったが・・・終わりとした。

もっとも、全て読んだからといって、ナニが分かるワケでもない。それが分かる程の脳力は、ワガハイには備わってはいないし。

この量塊性の凄さは並みの石彫作品を簡単に凌駕するだろう

結局、富士講のナニガシカに近づくコトも出来ず、この日は終わった。だが、このような強烈な空間を前にして思うのは・・・現代美術作品の薄っぺらさ、だ。全く立ち打ち出来ない。信仰や思想に裏打ちされた石材は、やはり異様な力を内包されているとしか言いようがない。

そのように捉えるのは、そういうワガハイという動物の性質なのだろうが。

 

とにかく、なかなかディープな場だけに、天候と時間を選んで行かれたし!

夕方はおススメしない。

 

一応、「人穴富士講遺跡」についてはお終い。