現在は「富士宮道路」という走り易い道が整備されているから、わざわざ旧道的な県道75号を走る人は限られると思う。もの凄く広い道ではないが、走りにくい道でもない。旅の醍醐味として高速道路を走るよりも、旧道をゆっくりと走った方が風景を楽しめるコトがあるように、ここも案外、「富士宮道路」を外した方が興味深いかもしれない。
上画像の説明板の記述からも、この「富士講遺跡」沿いがかつての往来であった事が分かると、ただの道がただの道には思えなくなる。だから知識というのは先入観を植え付けられる場合もあるが、モノゴトをイメージするには幾らかの知識・情報が欲しい。
結局はイメージ(脳内)での虚構の世界に遊ぶのだから。
さあ、極めて宗教的な雰囲気を漂わせる空間に突入となった。ここで歩みが一度止まった。感想としては陳腐な一言である・・・
「やるなぁ!」
なんか〈4寸5分※四方の角材の上につま先立ち、一千日に及ぶ修業を行い・・・〉という強者がいたらしい。とても失礼な言い方だが、コレは尋常な行いではないので、凄いのかナンなのか?と思う。
ワガハイ的には苦痛を伴うような修業をしなければ会得出来ないコトについては、なんとも一般性がなさ過ぎてど~なんだろうか?という思いがある。
オリンピックで金メダルを獲得しても、それはとてつもない偉業だが・・・そのものの世界観は共有出来るようなものではない。正直なところ、なにか異教の世界観を受け止めているような感じはする。
もっとも、なんでも共有すれば良いワケでもなかろうが。共有できない世界観との付き合いこそ、難しくも重要なのだから。だからイスラエルとパレスチナのコトも・・・ねぇ?
ま、富士講遺跡でナニを思うかというと、やっぱり不安定過ぎる中東と、ウクライナなのだ。
※ 4寸5分とは・・・1寸≒3.03cm なので、4.5×3.03=13.635cm となる。その角材の上につま先立ち千日だそうだ。それは驚くべき偉業だと思う。
祭神は木花咲耶姫・・・というのは言わずもがな、浅間神社だからねぇ。
なるほど・・・戦争になると、こうした聖地でさえ演習地になってしまう。だいたい現在もそうだが、富士山の周辺で自衛隊が広大な演習地を確保しているというのも、ナンだねぇ。日本人のココロの地の裾野は、演習地である・・・と。
これが人穴ということか。
溶岩洞穴がある。立入禁止だ。なんか見学ツアーがあるような説明書きがあった。
富士山周辺には、このような溶岩洞穴が無数にある。ワガハイ的には閉所恐怖症ではないが、こうした洞穴は苦手だ。だいたい腰が痛くなる。入ったはいいが、出てくると酷い目にあうから。でもまあ、洞穴の入口辺りから上を見上げた景色は観てみたいようには思った。
溶岩洞穴で見学しやすいのは、御殿場市印野の「御胎内清宏園」かなぁ?(以下リンク先参照)ワガハイは行ったコトが無いのだけれど・・・腰痛だからねぇ。
そして御殿場市駒門の「駒門風穴」(以下リンク先参照)もある。ここは腰痛が酷くなる以前に行ったが、天井高がソコソコあるので、一応の洞穴感を味わえる。これ位の体験で十分と思うけれど。
洞穴のような穴というのは言うまでもなく、胎内回帰的なコトが絡んでくるだろう。それは横穴古墳でも感ずるし、これまた言うまでもなく新約聖書での「ヨハネによる福音書20章」の記述もそうだ。
蘇るかどうかはともかく、生と死をどの様に捉えていくかという問題は、永遠の謎。だが、どこかで失われた世界との繋がり(コレは昔の写真論でもある)を求めるのが、人間という動物の習性なのだろう。
たとえ本人にとって死後の世界が全くの「無」であっても(ここは石原慎太郎さんが言ったコトを指している)・・・残された人たちにとっては、そういうモンでもないからなぁ。
というワケで長くなるので今日はここまで。また次回。