Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

味噌との出会い

仙台味噌

味噌を注文した。我家では長年、「高砂(仙台)長寿味噌」を使っている。そしてもう一つ、新潟県上越市直江津)の「山本味噌」も時々注文する。どちらも好みに合った味噌なのだ。

高砂長寿味噌」は万能な味噌で、あらゆる用途で美味。一方「山本味噌」は、煮込む料理に卓越していると感じている。理想は両方を常備して使い分けると・・・いうようなコトは現実的ではなく、どちらか一方になってしまうケド。

h-cyojumiso.jp

yukinkomiso.jp

この二つ以外にも、かつては贔屓にしていた味噌があったのだが、それらは小さな街の個人経営のお店のものだったので、現在では入手出来なくなってしまった。特に飛騨古川の味噌は塩分が強めだったが、しっかりとつくられた良い味噌だった。随分以前に店を閉められたような感じがする。

味噌も、小さな地元消費向けのお店ほど、郷土料理に密接に関係する香味だったというのは、当然の必然だ。そのようなコトからとても興味深かった飛騨の味噌は、名物朴葉焼きで少々焦げた塩梅で美味でトーンの高い香味を発揮した。そこに平瀬酒造店の「久寿玉」とか、渡辺酒造店の「蓬莱」、蒲酒造場の「白真弓」の純米酒の相性はいい感じだった。

kusudama.ocnk.net

若い頃は、よく高山や飛騨古川に行った。始めて行った時なんて、安房トンネルが無かった頃だ。野麦峠を越えて行ったコトもあったし、木曽福島から国道361号で行った時もあった。この国道も、最近は道が改修されて走り易くなったようだが、ワガハイの20代の頃は、山道の運転に自信のない人は避けるべき道だった。

ハッキリ言って酷い道だった。

でも、それが面白かったっていうのが若さなんだろう。ちょっとしたアドベンチャーなワケだ。しかも、始めて国道361号を走った時はジムニーだったと思うが、大雨で通行止めになる寸前だった。途中に「高根第一ダム」というのがあって、恐ろしく高いダムだった。

あれはいつだったのだろう・・・ちょっと正確に時代を調べてみるコトにした。ワガハイが乗っていたジムニーはJA11が出たばかりだったから、1990年だ。初期型のJA11の、その代理店での納車第一号だったから。

というコトは、1990年か91年に「高根第一ダム」に立ち寄ったコトになると思う。現在では危険防止、或いは飛び降り自殺防止もあるだろうが、堰堤上は立ち入り禁止になっているらしい。だが、1990年の頃は立ち入り自由だった。

だから、ワガハイは天気が悪い・・・とは言っても丁度雨止みだったと記憶するが、ダムの中心まで行ってた。それはそれは、恐ろしく高いダムだった。こんな自由に立ち入って良いのだろうか?と思ってしまう程、危険なあり方に思えた。幅はそれほどでもないんだが、とにかく高度感が凄かった。アーチダムで、綺麗な形状だけど。

damnet.or.jp

上リンク先の画像を見ると、当時の記憶が蘇って・・・ゾ~~っとしてくる。それほど高所恐怖症でもない筈なんだが。

 

仕事が数日空くと、急いで一泊程度の旅行に出かけた独身時代は、ジムニーでウロウロしたなぁ。少々の悪天や悪路でも躊躇なく走れたし、心強いクルマだった・・・と言いたいトコロだが、チョコチョコ小さなトラブルがあって、エンジン始動が出来なくなったりしたけれど。信頼性はイマイチだったなぁ。

その信頼性のコトもあって、後にランクルに乗り換えたのだ。

 

それにしても20代、ウロウロしたコトで、今でも使っている味噌との出会いがあった。石巻の長寿味噌にも出かけたし、山本味噌も何度か行った。だが、とにかく飛騨古川の味噌が入手出来なくなったコトが残念。幾つかの味噌屋さんは代替わりで味が変わってしまったトコロもあるし。その分、新しいトコロの発見・・・がねぇ、あればイイんだが・・・なかなか無いのだ。