Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

妄想拠点多し!小田原

神奈川県の小田原っていうのは、小田原城があるから城下町である。鉄コン筋クリート小田原城のある街だからねぇ。

そして人口18万6千人ぐらいの規模。かまぼこが有名で箱根の玄関・・・あと、何だろう?干物屋さんもあるけれど、まあまあ美味な干物だけど・・・隣の真鶴の方が美味いしなぁ。

そりゃあ、歴史はいろいろ積み上がっている。秀吉の小田原城攻めだからな。城マニアにはタマラナイいろいろな遺構が残されているケド・・・興味がなければ、ただの土塁やら大きな溝でしかないし。

ナニかほかに興味深いものはないのだろうか?

 

いちいち列挙しないが、小田原ってキリスト教会の多い街である。もちろん神社仏閣も多いけれど。

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上リンク先の画像は、カトリック小田原教会である。

そして城の南側、つまり国道1号線の辺りを南町と呼んでいるが、昔は「十字町」なんて言ってたらしい。その名残だろうか、「日本基督教団 小田原十字町教会」というのもある。

そして「諸白小路」という通りがあって、そこには「日本聖公会 小田原聖十字教会」というのがある。

十字・・・だからねぇ。教会が多いから十字町って言われたのだろうか。

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「諸白小路」については、上リンク先にも少し書いた。

 

で・・・本日はその「諸白小路」にあった不思議な名前のお店?について。

ヨハネ玩具商会 2011年7月28日撮影

かつて「ヨハネ玩具商会」と書かれたお店があった。三好達治旧居跡の石碑とともにある。だから、三好達治の住んでいた家をぶっ壊して、この物件が建ったっていうコトなんだろう。ひょっとすると、礎石の一部ぐらいは再利用していたかもしれないが。

これは、瓦葺の木造モルタル2階建っていう、昭和にありがちな住宅兼店舗の建物だろう。画面右端には波板トタンの外壁も見えるコトから、増築されたのかもしれない。モルタル外壁には錆色が流れているから、塗装などのメンテナンス状態は芳しくなかった。

ここは海にも近いから、塩害の影響も出るかもしれない。

で・・・一階部分は外壁がタイル貼りに改装されて、コーヒー屋さんになっていたみたいだ。「フォー・ユウ」という看板が掲げられていた。

と、ここまでは「ヨハネ玩具商会」で検索すれば、何人かの方が既に書かれている。

だが・・・いったい「ヨハネ玩具商会」って、どういったご商売をされていたんだろうか?ヨハネって言ったら、フツ~に考えれば福音記者のヨハネさんだわなぁ。英語読みにすればジョンだから「ジョン玩具商会」とすれば、幾らか違った印象になるかもしれないが・・・「ヨハネ・・・」だからねぇ。

ま、幾ら考えたトコロで、永遠の謎になってしまう。たぶん、道挟んで反対側に「小田原聖十字教会」があるから、そこで聞けばわかる?案外、教会信徒の方が経営されていたのかもしれないし。

いやまて!司祭は時々転任するもんだし、昔の事情を知っている聖職者は、既に退職されているかもしれない。

 

この件について真剣に調査する気もないので、どのみち謎のまま終わるのだが・・・「玩具」なんだから、玩具(おもちゃ)を売っていたんだろう。そして「商会」とあるから、問屋的なコトもされていたのかもしれない。

更にさらに、小田原は箱根細工のナニガシカを請け負っていた業者もあったと思う。小さな木工を製造しているトコロもあったはずだ。ひょっとしたら、箱根土産のナニかを扱っていたと想像するコトも出来る。

例によってストリートビューで見てみると、この物件は2015年6月まではあった。そしてストリートビューでの次の日付は2018年9月になってしまう。そしてその時点で新しい住宅になっている。

もう、さすがに三好達治旧居の礎石の一つも残ってはいないだろう。だが、「三好達治旧居跡の石碑」については、境界フェンスの支柱の一部のような感じで、さりげなくエクステリア・デザインに取り込まれているみたいだ。

 

本日も、妄想多き内容となった。だが、小田原の街は妄想拠点の多いコトには違いない。それだけいろいろな人物が関わったワケだ。「小田原聖十字教会」付属の「花園幼稚園」は、北原白秋の息子さんが通っていたと・・・で、そのお迎えの時に雨が降ったから「あめあめふれふれかあさんがぁ~~♪」という歌が出来たらしい。

北原白秋が小田原に引っ越してきたのは、1918(大正7)年というコトだ。「花園幼稚園」は1916年に開園みたいだから、時代的には合っている。

結構、歴史ある幼稚園だなぁ。