11年経ったのか・・・と、多くの人が思っているだろう。破壊された街はまだまだ復興途上、復興さえ始めることが出来ない地域もある。自然災害であろうと人為的災害、まして戦争からの復興というのも、数年で解決出来る問題ではない。少しずつ積上げて、長年かかって街は出来上がっていくのだから。
3・11を思い出すと、東日本地域と西日本地域では危機意識が異なっていた。それは被害状況が違うのだから仕方ないとは思うが、原発事故に関する精神的負荷は、現場からの距離に応じてかなり違っていた。
あの時も、一時的にいろいろな生活物資が不足したが、ワガハイの住む神奈川県南部から県境を越えて静岡へ行くと、入手に難儀していたモノは難なく購入することが出来た。ガソリンスタンドの行列もなかった。それ故か、街の雰囲気に緊迫感は少なくて、災害が起きたコトを一時的に忘れるコトが出来るような、ワガハイ的にも一息つけるような場だった。
他人事のように頓着ない人もいたねぇ・・・福島ナンバーの車を煽って、罵声を浴びせる人も見たねぇ・・・「まあまあ、止めときなぁ」ってワガハイが声かけると、コーヒーの空き缶をワガハイのクルマに投げつけてきたなぁ・・・幸い、クルマには目立った傷は付かなかったが、ワガハイの気持ちには傷が付いた。つまり「もう余計なコトは言うまい」という負の教訓を得てしまった。
平常心を維持するっていうのも、並大抵のコトじゃないからなぁ・・・と思いながら、ワガハイ自身も平常心を維持出来ていたとは思えない。空き缶を投げつけてきた人というのも、冷静に考えてみると「可哀想な人」なんである。僅かばかりの思いやりを忘れたのか知らないのか、ただ「怖くて怯えている」のか?
「まあまあ、止めときなぁ」ではなく、其奴は無視して「福島ナンバー」に寄り添う態度を示すべきだったわなぁ・・・ま、こういうのもその場の咄嗟、だからねぇ。でも「余計・・・」かどうかはワカランが、言っても徒労に終わりそうな感じならば、スルーしちゃうわなぁ。
遠戚が大勢、三陸地域に住んでいたからなぁ・・・一通り安否が判明した時、父の言った一言は「幸い、親族の犠牲者は二人で済んだか・・・」であった。コレが幸い?と感じてしまう程に辛い実情があった。
港のそばに家があったご夫婦が逃げ遅れて・・・ダンナは自宅介護で寝たきりで、崩壊した自宅から見つかったが、奥様は自宅からかなり離れた場所で、半年後に発見された。これがその二人の犠牲者である。ワガハイは奥様とは数回お会いしたことがあったが、温和な方だった。ダンナの方とは数十回はお会いする機会があったんだが、海の男だったから日焼けしてがっちりとした体型の人だった。
「海に養われているんだから、海にやられても仕方ない。そうじゃなけりゃあ、フェアーじゃない。だから注意して、正しく怖れて海に出るんだ。」(これに似たコトを何人かの方から聞いたなぁ)
そう話していたなぁ・・・遭難した仲間もいたらしいが、老いて船を下りて、なんとか無事に勤め上げたと安堵もあったのではなかろうか。
そして3・11・・・自宅で寝たきりだったダンナは、海にやられた・・・「逃れられなかったか、遂にやって来たな!」って思った最期だったのだろうか?こういうかたちで海がやって来るとはダンナも予想しなかっただろう。
時間に余裕のない中、奥様だけでも助かって欲しいと、妻を叱って追い出したかもしれない。なんとかダンナを連れ出そうとする妻の手を振り払ったかもしれない。海の怖さを知っている男だから、優しい男だから、言い含めるように妻に語ったかもしれない。
泣きながら自宅から出たものの、奥様の心に躊躇するものはあっただろう。歩みは進まなかったかもしれない。或いは途中で戻ろうとしたかもしれない。そして逃げ切れなかった。
以上、これは奥様の安否が分かった時、ワガハイのアタマで即座に走ったストーリーだ。
ボケ防止で始めたこのブログである。本日の内容は、酷くボケる前に書き留めておきたい話の一つだった。ラブロフ外相が「ロシアは戦争してない・・・」みたい????なコトを言っていたが・・・。
人間という動物は、欠落した記憶も心も補うために妙なストーリーを組立てるものだから、彼の国の認識がオカシイのは、認識のモトがぶっ壊れているという証しだろう。壊れた相手と論議するのは難しい。同じようにぶっ壊れるしかない・・・というワケにもいかないしなぁ。
だが案外、為政者というのはそれが強権であるほどぶっ壊れてアナーキーな手法で突き進もうとしたりする。古くは教会政治でも使われた手法だな(まるで復活を怖れ、怯えるように)。程度の差はあれ、長期政権になると、民主主義を看板に掲げている国でも起ることはあるからなぁ・・・あったよねぇ?
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さて、シビアな話になった。終わりに少し話題を変えよう。
昨日のブログも、ヘンテコな内容だったねぇ。まあ「臨済録」がヘンテコだから仕方ないか?
だが「乾いた棒状の糞」はいけないねぇ・・・それは腸の健康に問題が大ありだろう。というコトで・・・
ヨーグルトメーカーは大活躍である。コレのお陰で潤沢なヨーグルト環境が実現出来た。しかも美味い!
作り方はいたってシンプルだ。定番のブルガリアヨーグルトを買ってくる、それを牛乳パック(予め一割中身を減らしておく)に加えてヨーグルトメーカーにセットするだけだ。完成までは9時間の我慢である。
出来上がったヨーグルトの一部を使って、さらにヨーグルトを作ることも出来るようだが、ワガハイはブルガリアヨーグルトを種にして、毎回作る味が好きだ。それはオリジナルのブルガリアヨーグルトよりも美味いものになる。
何故だろう?たぶん、使っている牛乳が・・・ブルガリアヨーグルトの工場でのものよりイイんだろう。スーパーで売られているタカナシの牛乳で十分、本元のヨーグルトより美味なモノが出来上がる。これを知ったら後戻りはもう出来ない。
腸の調子は良いねぇ・・・ヨーグルトメーカーはお勧めだな。ストレスがやたらに多い昨今だから、胃腸の調子は整えよう。
別にアイリスオーヤマの宣伝をしているワケではない。当ブログはアフィリエイトやってないからねぇ・・・だが、牛乳パックを使ってヨーグルトを作る方式は簡便でイイ。