綿毛を付けたまま、この状態で年越しした。やや綿毛は減ってきたようにも見える。
昨年まではサッサと片付けていた綿毛状態だが、今年は放置している。こうしておくとどの様になるのか、もう暫く様子を見ていようと思う。
と・・・さも観察を目的としているように書いてみたが、本音は寒いから外作業を避けているのだ。明日、20日は大寒だから無理するコトはない。もう少し待てば立春になる。日に日に太陽の光は強くなってきているのだから、2月になれば天気の良い日は快適に外作業ができるようになってくる。
自然の流れに逆らわない生き方は、何ゴトでも出来るワケではないが、自宅庭の片付けは少々乱雑であっても他人に大きな迷惑を掛けはしないだろう。というワケで、またも「自然の流れに逆らわない・・・」などと言い訳を見つける。
本音は、寒い間は動きたくない。
上画像は窓越しに望遠レンズで撮影した。出来るだけ横着をした。それに望遠なら背景もボケて、画面を整理できるので都合が良い。
趣味的にはパンフォーカスが好きだけど。望遠よりも広角レンズの方が面白いけど。
しかし・・・いかにも寒そうな画像だ。日陰になっている時に撮ったから尚更だ。
雨上がりに庭のビオラを撮影した。上画像の秋明菊を撮った際に付けた望遠レンズを交換するのが面倒なので、そのまま庭に持ち出して撮影した。
まあ、構図、絵的にど~た~こ~た~というコトはない。ただ撮っただけ。望遠レンズの至近距離近くでの撮影だが、最近のレンズは画像が甘くなるコトもない。オリンパスだけどね。
最近のニコンやキヤノンは知らんが、昔々のキヤノンがEOSシリーズを出したばかりの頃の望遠レンズは、近距離では画像がイマイチだったからなぁ・・・あの有名な白レンズでも。
デジタルカメラになって、撮像素子の位置はフィルムとは比較にならぬほど安定したものになった。フィルム面なんてヘラヘラだからねぇ。結像面の位置が正確でなければ、幾らピントを正確に合わせてもピンボケになる。それが怖くて絞り開放で超望遠レンズを使うコトが出来なかった。フィルム面のアバレを考慮して少し絞り込んで撮影した。
アナログは、いろいろ使いこなしに手順やコツ、ノウハウがあった。それを面白いと思うか面倒と感じるか?さて、フィルムカメラは相変わらず愛好家がおられて、少しずつ増えているのだろうか?
さあ、結構忘れ去られたノウハウがあると思うんだが・・・その辺りはどうなるのだろうか?
アナログ=曖昧さ・味
そういう図式でウケているだけではないみたいだし・・・かつての絶対非演出!まではいかないにしても、ややストイックな目的でのフィルムカメラの使用が出て来たみたい。
「絶対非演出・・・そんなワケね~~だろ!」と、思うがねぇ。ただ「リアリズム」を前面に押し出すと、写真のリアリティが現実とは異なるコトに気付く・・・という発見はあったかなぁ?
レンズの性能が悪くても、それはレトロな雰囲気として味わうコトが出来て、逆にレンズの性能が高いと、精緻な描写でスーパーリアリズムのようになっていく。どちらも肉眼での見え方とはまるで異なる。
眼球の構造と、カメラの構造は似ているけど別物だからねぇ。脳内で経験値も含めて補正が掛ったモノを捉えているのが、視覚ってぇヤツだろう。老いてくると、脳ミソが日々衰えてくるから、視覚も日々、微妙にチョットずつズレて行く・・・と。
時代も流れて、デジタル画像に接している経験が多くなった。そのことによる経験値は補正されている。そんな中「絶対非演出!」的な写真を見ると、それは画像というよりも「写真」だとは思う。だが、それもまた擦り込みに過ぎないだろうな。
ただただ、スマホで画像を補正した記念写真が記録にならないコトに気付いたならば、補正用のアプリを用いなければ良いだけのコト。わざわざフィルムカメラだから補正が無いと主張する必要もないだろう。
フィルムだって、イロイロ出来るから。
銀塩フィルムは独特の質感が得られるのが魅力。だが、同時に撮影した画像の枚数分は確実に産業廃棄物を生む、ってなコトも問題としてあるからねぇ。
と、言いながら・・・作業環境があれば鶏卵紙(アルビューメン・プリント)、やるだろうケド。