Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

氾濫と治水の歴史・・・文命堤

昨日に続き、神奈川県南足柄市山北町の境目に架かる「新大口橋」周辺の話などしながらの戯言である。

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新大口橋の脇に立つ説明板

「新大口橋」の姿は以下リンク先もあわせてご覧くだされ!

etsuro1.hatenablog.com

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上流側の河原から見た大口橋

さて、例によって説明看板を書き写す。画像からだと読みづらいからねぇ・・・それに看板ってぇヤツも、気付くと色褪せて朽ちるからなぁ。

 

ジオサイトに佇む文化遺産
文命堤 bunmeizutsumi

左図版
南足柄市指定文化財]  [大口土手]

 

酒匂川はかつて暴れ川と呼ばれ、大口付近でしばし
ば氾濫し流路を変えていました。しかし文禄から慶長
年間に大口堤と岩流瀬堤が築かれ、ほぼ現在の流路
に定まり、足柄平野は水田が発達したと言われていま
す。宝永四(1707)年に富士山が噴火して大量の火山
灰(黒色で多孔質な降砂)が降り積もり、酒匂川の川
床は浅くなりました。そのため、宝永五(1708)年と正
徳元(1711)年に、大口堤と岩流瀬堤は決壊し、下流
の村々は大きな被害を受け、その後の復興は困難を
極めました。そこで、江戸幕府の八代将軍徳川吉宗
は、享保八(1723)年に、南町奉行大岡越前守に命じ
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て治水、利水事業に詳しい、川崎宿の名主であった田
中丘隅(休愚)を遣わして、享保十一(1726)年に大
口、岩流瀬堤の復旧工事を完成させました。丘隅は
大口、岩流瀬堤の上に、治水、護岸を祈願し、中国の
治水の神とも言われる禹(称号は文命)を祀った文命
宮を作り、大口堤を文命東堤、岩流瀬堤を文明西堤
として、両堤を文命堤と名付けました。享保十九
(1734)年に文命堤は再び決壊し、丘隅の娘婿で代
官の蓑笠之助が復旧しましたが、本格的な復旧がで
きたのは明治に入ってからでした。

 

箱根外輪山と丹沢山系の境で生れた大災害と、
そこから立ち上がった庶民の生活と文化。

この看板は平成29年度文化庁文化芸術振興費補助金文化遺産総合活用推進事業)を活用して制作しました。

 

氾濫と治水の歴史
1609年(慶長14年) 小田原藩主・大久保忠世(ただよ)、忠隣(ただちか)3堤2岩によるZ型を完成!
1707年(宝永4年) 富士山宝永噴火 降灰による水位上昇で岩流瀬土手、大口土手崩壊
1725年享保10年) 八代将軍徳川吉宗 田中丘隅に復興を託す
1727年享保12年) 岩流瀬土手、大口土手の修復 治水神「禹王」を祀る 福沢神社を建立!
2つの土手は禹王の別名にあやかり文命堤と呼ばれるように
1734年享保19年) 再び決壊 死者39名家屋53軒が流される
その後…田中丘隅の娘婿、蓑笠之助ら多くの先人の努力で現在の豊かな足柄平野


右図版

[千貫岩]

 

酒匂川治水の要所


タウンニュース足柄版(2016/04/30)に加筆

 

図 日本地質学会(2007年)


■6万6千年前の噴火による火砕流の到達範囲

 

箱根火山も酒匂川の治水には重要な役割を果たしています。
流れを「Z」型に変えて弱めるときに使われた千貫岩周辺には、
6万6千年前の箱根火山の大規模噴火による火砕流堆積物が
見られ、新大口橋の上からでも観察できます。この火砕流堆積
物は千貫岩からさらに上流の内山地区にかけての酒匂川右岸
の崖で観察でき、厚いところでは10メートル以上にも及びま
す。この大規模噴火による火砕流の勢いは凄まじく、相模湾
超えて城ヶ島(城个島)まで達したことがわかっています。文命
堤周辺は箱根火山の噴火による火砕流堆積物が酒匂川に浸
食されることにより生まれた天然の崖と、その崖を巧みに利用
して川の勢いを弱めて氾濫を抑えようとした、先人たちの災害
との戦いの歴史を学ぶことができる文化遺産と共にジオサイト
なのです。

 

(イラスト)


濁流を春日森土手で釜淵に導き、
さらに岩流瀬土手により
千貫岩にあて水の勢いを弱め、
大口土手でその流れを東に向けました。

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下流側から見た大口橋(大口土手側を見る)

一昨日、昨日の内容と合わせてみれば、だいたいの大口界隈の酒匂川について分かる。それは序の口の知識に過ぎないが、やっぱり自然の猛威・驚異を治めていく苦労はまだまだ続いていることに溜息が出る。

書き写すのも、結構シンドイなぁ・・・何となく説明板の色使いとか、図版の位置を示す書き写し方に配慮したんだが・・・概ねコチラの意図を感じ取って読んでもらえればと思う。

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橋の下から大口土手を見る

福沢神社そばの駐車スペースにクルマを停めて、トコトコあるいて大口橋を渡ったんだが、すごい子供の頃には、上画像の水門らしきモノが見えるあたりから細い橋が架けられていたような気がする。

ジオサイトの説明板をザッと読んでから撮影し・・・こういうのって、現場でしっかりと読解するのって苦痛なんだよなぁ。何故だろう・・・ワガハイは立っている姿勢では理解出来ないのだろうか?辺りが騒がしいと集中出来ないのだろうか?

これ、博物館や美術館でも同じコトで、あの展示空間の長文っていうのは辛い。薄暗い展示室に説明板の所にスポットがあたって、目も疲れる。たまには真面目に全部しっかり読んでみようなどと思って、冒頭の主催者挨拶からしっかりと読んでみたら、それを読み終わった時点で目が疲れ、集中度も途切れた。

結局、しっかりと読むには展覧会図録を購入して、落ち着いた時に家でユックリとした気分で読まないとダメだ。ワガハイ、ながら勉強っていうのも苦手だったからなぁ。

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大口土手にはナンか水位計測の装置みたなものが設置されているな
(上に見える赤い屋根は福沢神社だ)

酒匂川の歴史と、現在の風景と、ワガハイの個人的な事情がゴチャゴチャに入り乱れながら散策が続く・・・ってぇのが、ワガハイの散策スタイルだ。結構、脳ミソの中は騒がしいのだ。

だからねぇ・・・本当はリラックスする散策のためには、箱根外輪山の上の方まで行って、適当なところで座ってボ~ッとしているのが一番イイ。またウグイスが鳴き始める季節になるしね。或いは西丹沢の沢スジを登っていって、綺麗な流れを前にしてボ~ッとしているのがいい。

だが、久しぶりに河原に降りて、小石や砂が混ざる不整地を歩くと、日常使っていない筋肉が悲鳴を上げているコトに気付く。若い頃、山歩きをしていた身としては完全にヤキがまわってしまっている。喘息発症以来、本当に体力は落ちたなぁ・・・と実感した。これ、結構この現場で暗く落ち込んだ気分になってくる。ウグイスなんて贅沢は言わないが、カラスでも鳴いてバカにしてくれれば幾らか気が紛れるんだけどね。

 

さて、長くなるからまた分割して書くことにする。明日は「千貫岩」ネタで戯言だな。