引き続き神奈川県南足柄市と山北町の境目に架かる「新大口橋」界隈の画像を出しながらの戯言である。
昨日ブログの説明板が立っているところから、テコテコ橋を渡る。山北町に向って橋を渡るんだが、途中で横を向き、或いは振り返ると地層の露出した崖が見える。これ、普通だったらコンクリート擁壁でガチガチに固めてしまうのではないか?と思うような場所なんだが、土色が露出した崖なんである。
酒匂川が平野に流れ出す最終コーナーっていうか、その手前のシケインというか・・・富士スピードウェイならパナソニックコーナーみたいな位置だからなぁ・・・まあ、自然の地形を利用した減勢工みたいなもんだから、立ち上がり加速で流速が上がる、ってなモンではなかろう。流速を弱めて流れを広げていく場所だな。
あれ?ひょっとするとエンジンの排気管・・・マフラーの消音装置と似ているところがあるかなぁ?シリンダー内で爆発後の排気ガスを、広い部屋と狭い部屋を通過させることで徐々に膨張させていって圧力を下げる・・・それで排気音を静かにさせるってぇヤツだ。
でもまあ、勢いのある水流のアウトコース側に位置する壁のような崖である。徐々に削られてるんだろうなぁ・・・でも、案外硬い壁なんだろう。そうでなければ台風の度にドンドン削られていってしまうだろうからなぁ。
パッと見ただけでインパクトのある崖である。結構綺麗な崖だ。6万6千年前の箱根火山の大爆発っていうのは、そりゃあトンデモナイカルデラ噴火だったンだっけ?相当にヤバイ噴火だったって言うよねぇ。そんな噴火が今起きたら、ど~にもならんからなぁ。
そのど~にもならんコトによって生じた崖らしいが、綺麗なんだよなぁ。
クルマでこの橋を渡る時も、チラリと脇目に見える崖で以前から気になっていたんだが、こうして徒歩で橋を渡り、シゲジゲと眺めるとその崖に魅惑されている自分に気付いた。
河原に降りるコトは出来ないのだろうか?
それで河原の様子など橋上からみていると、人の足跡はあるし、重機も停められているから、何処かから河原に降りられるはずだ。それで橋を渡り切ってからルートを探そうとした。ま、簡単に見つかったケドね。使われなくなった廃工場(これ、豆腐工場だったと思うんだが?)の脇道を入って行くと、難なく河原に出られた。
火砕流の跡か・・・説明板によれば、これがアチコチに広がっているということだ。確かにここから少し上流にある内山発電所の先にも、こんな感じの崖がある。ま、この件は別の機会にまた書こう。今日はここ大口に話を絞る。
水流は淀んでいた。殆ど池の状態である。これがひとたび雨が降れば・・・凄い状態になるんだろう。そういう状態を見たコトはないがねぇ。上流の三保ダムの放流とかあれば、壮絶な光景になるのだろうか?
地層は幾らか褶曲しているのかな?これは何らかの圧力が掛かったっていうコトなんでしょうなぁ?こういう細かいコトは、専門家の解説が必要なんで、観察会とかナントカがあれば参加してみるのもイイかもしれない。こういう興味ってヤツは、ナンだろうねぇ・・・老いてからの方が余計に気になるようになってきた。若い時の方がザックリと知って先に行ってしまっていたように思う。
昨日のブログに出した画像の、大口橋下からのカットを撮った後、来た道を戻ったんだが・・・河原に降りれば岸へは登り坂があるもんだ。これが砂地、砂利混ざり、段差ありで膝にきた。舗装された平地を歩いていても、やっぱりこういう不整地で使う筋肉っていうのは違うな。昔、青春ドラマで砂浜を走っている図・・・があったが、ありゃあ若くても足腰に効いたからなぁ・・・森田健作さん主演の剣道部のテレビドラマだったが・・・何ていうタイトルだったかねぇ?忘れたな。
砂浜で竹刀振っていた森田健作さんの図ってなモンがあったと思うんだが?森田さん、今でも竹刀振って砂浜走っているのかな?千葉県知事を辞められて、ナニしてんのかなぁ?外房とかの浜を走っていたら凄いケド・・・。ま、お互い歳だからご自愛下さいな。お会いしたコトはナイけどねぇ。
で・・・上画像なんだが、県道74号に出たところ、正面には「三菱ガス化学(株)」の工場があった。この工場もず~っとあるから古いんだろう。
ソモソモ・・・三菱ガス化学ってナニやってんの?全然知らない。ナニヤラ地味な存在だもんなぁ・・・AGCだって「♪ 素材の会社はAGC・・・」ってCMで改めて気にとめて、Web.で見るコトで「そ~ゆ~会社なのねぇ」って分かったんだからな。
で・・・Web.だねぇ。便利だねぇ。ザックリといって1918(大正7)年に始まり、「江戸川バリウム工業所」なんていう名前があるから、バリウム作っていたんだろうねぇ・・・そのまんまの理解だけどねぇ・・・胃のレントゲン撮影で飲まされるアレ、ですかいな?他にバリウムってナニに使うんかいのう?ま、脱線するから詮索は止めるけどね。続いて見ていくと・・・
〈1922(大正11)年 五島喜久郎、無限責任社員となる。〉とある。コレがねぇ・・・ワガハイは斜め読みで「無限責任社員・・・」を「無責任社員となる」と読んでしまってねぇ・・・なんじゃコレ???って焦ったんだな。落ち着いて読まないといけないねぇ。で・・・1927(昭和2)年には日本で初めてホルマリンの生産を開始しているらしい。ホルムアルデヒド水溶液・・・だっけ? 危ないよねぇ。さらに見ていくと・・・
〈1933(昭和8)年 山北工場を開設し、日本で初めて過酸化水素(電解法)の生産を開始。〉ということで、山北工場って戦前からあるんだねぇ。過酸化水素ってH2O2だったねぇ・・・コレ無理矢理、水にもう一つ酸素くっつけちゃうってヤツだな。その製法は中学の時だったか?授業で余談として先生が話していたなぁ・・・詳細は忘れた。今でもココで過酸化水素作っているのかな?工場周辺に居るだけでシュワシュワしてきて殺菌されそうだねぇ(そりゃあ危ないか?)。
他にも、〈日本で初めてプリント配線板用積層材料の生産を開始〉とか〈自社技術(アンスラキノン法)による過酸化水素の生産を開始〉とか、〈ポリカーボネートシート「ユーピロン®シート(押出法)」の生産を開始〉なんていうのもある。
ワガハイ、ガスっていうからプロパンガスとかアセチレンガスとかの精製工場かと思ってたわい!そういうコトじゃないのね。日本初っていうのもあるし、なかなか記念碑的な企業であり、特にこの山北工場で日本初の過酸化水素の生産というのは、こりゃあ、知ってしまうと感慨深くこの工場を眺めてしまうな。
知れば見方が変わるもんだ!
いや・・・ワガハイは工場の門構えを見て、なんか風格あるカッコイイ門だぞ!と興味を持ったのである。
ね!なんか歴史・由緒ありそうな門構えだと思いはしないだろうか?これは既に文化財じゃないかなぁ・・・山北町の担当部署さん、これは認定じゃないの?(もう認定されているのかな?それとも案外新しいのだろうか?)