Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

昨日に続き福沢第一発電所界隈の散策・・・石碑・石仏と福澤神社

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文命堤・大口広場 石碑に対しては正面

昨日の当ブログで書いた神奈川県南足柄市「福沢第一発電所」に隣接する場所である。神社があり、駐車スペースがあり、酒匂川の堤防には桜が植えられていて、ちょっとした公園になっている。酒匂川の堤防上に設けられたサイクリングコースの起点(終点)でもある。

県道720号際に石碑が並んでいるが、その様子からして集められたんだろうなぁ。

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撮影:2021年12月2日

大きなイチョウの彩りが凄い。

この辺りは、南足柄市山北町の境目になっている。そして暴れ川の酒匂川が、山間部から平野に流れ出すところなので、大昔には何度も流れを変えて、富士山の宝永噴火の後には決壊するなどの災害が発生したと伝えられているらしい。大変な場所だが、古くからの治水工事を見ることが出来るし、地形的にも興味深い場所だ。ナンダカンダでワガハイは、この界隈で一休みするコトがある。近くのコンビニでにぎり飯を買ってきて、桜の木の下で昼飯にすることもたまにある。

ただ、今でも川の水量が増えれば流れは荒く、危険なんだろう。河原へ降りられる場所は限られているようで、目の前の流れの際に下りるには難儀する。だから河原で昼飯を食べるには、もう少し上流に行った岩流瀬の橋辺りから水際に下りるコトになるんだが、するとまた別の興味あるエリアになってしまう。この辺りのコトは、またの機会に書くことにしよう。

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道路(県道720号)側からみた石碑群 石碑裏側の図

石碑がガードレールのような位置にあるからなぁ・・・クルマが突っ込むとちょっとねぇ?まあ、いろいろな事情があってこの位置になっているんだろうが、もう少しなんとかならなかったかな。ちょっと心配。割と交通量の多い道路だからな。

事故が多いのか、取り締まりに便利なのかワカランが、警察車両が停まっていたり、警官が立っていたりするのも見かけることが多いような気がする。時々通過するワガハイが頻繁に見かけるのだから、ほぼ毎日この界隈の何処かで取り締まりがされているのかもしれない。

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風化がすすんでいて文字が読めるものは限られる

雨には空気中の二酸化炭素が含まれているから、弱酸性だということを聞いたな。地球温暖化で大気中の二酸化炭素濃度が高くなれば、雨の酸度も上がるのだろう。そして気温も高くなるから化学反応は進みやすくなる。ということで、こういった石碑の風化は進みやすくなるっていうコトだろう。

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表側を見ると馬頭観世音

馬頭観世音菩薩だから、人身で馬の頭だったり(馬頭人身)、馬の頭飾りがあった(人面馬冠)する。だが江戸時代以降の場合は馬の供養として碑が建てられるコトが多くなった・・・と、昔、古老から聞いたなぁ。また、東日本に見られるものらしい。

こうした石碑が田畑の脇にも見かけられる。農耕に使われた馬が、ただの道具ではなくて家族を支える大切な命だったという情の現われだろうなぁ・・・その命を記念せずにはいられなかったんだろう。

なんかねぇ・・・馬肉が美味いのナンのって言っているワガハイは、怒られてしまうだろうか?馬頭観音を見ていると、それが単なる動物供養には収まらない信仰のように感ずる。

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説明板

この石碑群の説明は、なんとも手作り的なモノが立てられていた。一箇所判読不能な文字があるので、そこは以下の書き写しでは「 □ 」としてある。多分・・・8月というコトだと思われる。その根拠は川施餓鬼に関して「8月下旬」との記述が神奈川新聞(カナロコ)2012年9月9日の記事に見られるからだ。

 

大口の地蔵さんと
馬頭観音さんの祭り(川施餓鬼)

 宝永5年(1708)の洪水や享保19年(1734)の
大洪水などにより亡くなられた多くの方や流さ
れた馬の霊を弔うため、文命堤に地蔵さん、馬頭
観音さんの石碑や石仏が建立され、地元斑目
が毎年□月に供養祈祷をするようになったと思
われる。
 昭和初期(12年頃まで)にはこの石碑・石仏の
周囲に麦わらで小屋を作り祭壇を設け珠明寺住
職による祈祷が行われ、最後には小屋に使った
麦わらを竹竿に巻きつけ、松明を作り酒匂川に
流した。
 今日では斑目老人クラブの人たちにより毎年
8月22日公民館にて川施餓鬼として珠明寺住職
を招き供養が行われている。
平成20年 南足柄市 生涯学習課編
平成24年 斑目老人クラブ 修復

上記述内の「珠明寺」というのは、南足柄市運動公園隣の臨済宗のお寺だと思われる。

 

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福沢神社の夕方・・・冷えるねぇ

石碑の先には福澤神社があり、福沢第一発電所もある。昔々、水害の発生した場所に建つ神社と発電所・・・水のエネルギーの強い所だから、水力発電所があるっていうコトかなぁ?

で・・・この神社には以下のような説明板があった。

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右半分は名前が並ぶから・・・一応カットしておく

移築というか、道路拡幅の為に動いているんだな。

 

福澤神社社殿移築完成記念

趣旨
 「福澤神社」は、明治42年(1909)に福澤村内の11神社を文命社に合祀し、文命堤内地に建立され、本年は百年にあ
たる。また、文命堤は昭和41年(1966)に南足柄市文化財に指定された。
 近年福澤神社は、老朽化が進みその対策が急務となっていた。一方、神社周辺の道路は狭く周辺地区からの交通量の増
加にともない県道怒田・開成・小田原線の道路拡幅整備が計画され、道路の一部が神社内にかかり、社殿及び石造物群の移
転問題が発生した。

 平成14年(2002)に福澤神社総代会は、このような事態に対応するために「道路拡幅にともなう神社老朽化、石造物群
移転、土地問題等」ついて検討することを決議し、「福澤神社検討委員会」を設立し、社殿の老朽化対策の検討を始めた。
 福澤神社検討委員会は、平成14年(2002)~平成18年(2006)の5年間に亘ってこの問題を討議し、文化財的な価値
を有する神社建築物等の老朽化対策上から神社土地及び建築物や石造物群等の恒久的な保存に十分配慮し、損失補償等
を関係者と計画的かつ重点的に検討し、道路拡幅整備計画に対する神社がとるべき方向について答申した。
 平成19年(2007)に福澤神社総代会は、「福澤神社建設委員会」を設立し、6名が共有の社殿敷地の寄贈、境内地に存
在する国有地の払い下げおよび公道の処理を行なった。公道の処理は、上怒田・斑目自治会の協力による代替処理を行なった。ま
た、高橋俊行氏からの一部私有地の寄贈等により、社殿の移築先用地が確保された。

 平成20年(2008)8月から社殿移築を開始し、平成21年(2009)3月に社殿移築工事が完成した。設計・管理・監督は
中津川建設設計コンサルタントに委託した。社殿の移築工事は瀬戸建設(株)、外構工事は地元の(株)永田組・(有)石塚
石材・(株)川上建設、水道工事は(有)石澤設備工業が請負った。また、神輿は(株)日本木工振興が復元した。
 境内地の北西に位置する田中丘隅(きゅうぐ)が建立した石造物群は、市教育委員会・市文化財保護委員会・足柄史談会等の
協力を得て、境内地北東側に移転した。石造物群の調査時に文命宮祠とみられる一部が見つかり、台座石および笠石が不明の
ため文命西堤の文命宮を参考に台座石と笠石を復元した。

 ここに、福澤神社の社殿移築の完成により、氏子中の安寧と安全を祈願し、
福澤神社の移転に携わった各位を記し、記念版を奉納する。

平成21年4月吉日
福澤神社 建設委員会

こちらの説明板はしっかり作られているから、そう簡単には文字が消えることはないだろう。でもねぇ・・・こういうのって一回作ると、メンテナンスが為されることって少ないのでは?消えそうな文字をなぞっておいてくれるだけでも違うんだがなぁ。

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福澤神社正面の図

ま、しっかりとこの神社を撮影するなら、午前中の方が光の具合は良さそうだ。上画像は夕方の撮影だからな。でも師走っていう季節は日没が早いから、一仕事終えて休憩で立寄るとこんな感じの撮影条件になってしまう。

 

昨日の当ブログでの福沢第一発電所とあわせて、この辺りを散策したというコトだった。駐車もしやすいし、息抜きにイイ感じですな。でも、歴史を紐解くとディープな世界だ。神社の移築っていうのも、大変なんだなぁ・・・個人で決められないからなぁ。