Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

神仏を怖れぬ老人・・・白菜と「源実朝公御首塚」

昨日、午後の間抜けな時間に農協直売所に行くと、売れ残りも無いほどの開店休業状態だった。そうか!世の中連休なんである。最近、なんか商品が少ない状態の直売であるとか、贔屓のパン屋さんであるとか、タイミングが悪いのだ。

酒販店でも、無濾過生酒のような旬の酒に関しては冷蔵庫に残り僅か2本とか・・・ギリギリで購入となったりしている。こちらはタイミングはセーフである。

やっぱり酒に関する運は悪くないみたいだ。

 

そんなワケで、何一つ野菜類をゲット出来ずに帰宅するのもナンなんで、非常にお久しぶりに神奈川県秦野市東田原の「田原ふるさと公園」に立寄った。ここには近隣農家さんの野菜が並ぶし、蕎麦屋さんもある。

蕎麦屋さんもある・・・コレがワガハイ的には困ったコトなので、ココを避けていたということもある。蕎麦アレルギーが発覚してから、蕎麦好きだったワガハイはしばしば禁断症状を覚えていたのだ。

「蕎麦食べた~い!ああ、蕎麦さん蕎麦さん、逃げないでぇ~~~」ってな夢まで見たからなぁ。

蕎麦屋から漂う香りが、折角忘れかけていた「蕎麦」の風味を思い出させるのである。だが、昨日はその香りを嗅いでも大丈夫だった。ようやく蕎麦抜きでの生活も大丈夫な体質になってきたのかもしれない。

だが、ここの野菜コーナーも葉物が売り切れ状態で根菜類ばかりだ。ワガハイは葉物が欲しかったのである。それで落胆しかかったところで売れ残り白菜に割と旨そうなものを発見し、ゲット!

120円也

白菜は旨いよなぁ・・・旨味のカタマリだよなぁ・・・これ使って料理が不味くなるワケがない。冬の楽しみは白菜があればこそだよなぁ。

白菜漬け・・・妻は減塩で上手く作るコツを掴んだようで、ここ数年は時々失敗はあるものの、美味な白菜漬けを食すことが出来ている。なんか、減塩で成功するには使う塩に秘訣があるらしい。少なくとも精製塩ではなく、いろいろミネラル分が入っている塩を使った方が上手く作れるみたいだ。

それはまあ、少し考えてみれば理に適っているような気もする。発酵っていうのは微生物の働きだが、微量元素が発酵の活性に一役かっていることは確かだ。ただただ塩化ナトリウムだけでは、微生物さんもやる気が出ないんだろう。

だが、明治生れの祖母は、精製塩・・・当時は専売公社の塩だったが、それを大量に使って美味な白菜漬けを大量に作っていたなぁ。勿論、減塩ではないから祖母も高血圧であった。なにせ冷蔵庫の無かった時代の台所で、あらゆる料理を作ってきた世代だ。新巻鮭など、本当に一切の無駄を出さずに使い切っていたし、干したり漬けたりして保存食を作るのも手慣れたものだった。

最近、祖母の料理を思い出す。天国からでも地獄からでもいいから、ちょっと来てくれないかなぁ・・・いろいろコツを教えて欲しいんだけど、と思う。

でもまあ、白菜漬けに関しては、妻の減塩漬けもイイ感じの乳酸が出て、日本酒だけでなくワインにも合う。いやまて!減塩だからこそ、綺麗な乳酸が生きて・・・赤ワインにも合うんだろう。

昨晩は杉錦の山廃純米酒と白菜漬け・・・山廃の酸と、白菜漬けの酸が相まってイイ感じであった。

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説明板である

「田原ふるさと公園」に隣接して、「源実朝公御首塚」という史跡がある。まあ首塚だから気持ちイイもんではない。ワガハイがはじめてココに来た時は、まだ時代は昭和の末期だったが・・・「田原ふるさと公園」も無くて、もう少しおどろおどろしい印象だったように記憶している。

ま、当時はどの様な状態だったのか?と言われると曖昧である。ただ、もう少しまわりに木が多かったのは確かだと思う。

いやまて!若かったゆえ、まだまだ神仏を怖れるココロがあったのかも知れぬ。首塚を前にして真摯な態度であった若き日の自分・・・だったのでは?年老いてくると、なんか怖いものが少なくなってきたよなぁ・・・嫌なコトは相変わらず多いが。

神仏を怖れぬ老人・・・神仏怖くて棺桶に入れるか!あの世があるなら、ワガハイはバッカス神とも松尾様とも酒酌み交わし、不遜にも大いに語り合いたいものだ。石原慎太郎さんが言ったように、死んだらな~んも無いならば・・・今のうちにせっせと酒呑めば良い。ドクターストップがかかるその日まで。

 

まあ、やや強がっているのは・・・やっぱり「首塚」に、どこか怖さが残っているからだろうか。

さあ、例によって説明板である。以下に読みやすく書き写しておく。

 秦野市指定史跡
  源実朝公御首塚
         昭和四十六年七月二十六日指定

 ここは、若くして非業の最期を遂げた鎌倉幕府三代将軍源実
朝の首塚と伝えられている。実朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝
北条政子の子として生まれ、建仁三年(一二〇三年)二月に
十二歳で鎌倉幕府三代将軍となり、建保六年(一二一八年)十
二月、武士として初めて右大臣となった人物である。
 実朝は、建保七年(一二一九年)正月二十七日、右大臣拝賀
のため鶴岡八幡宮に参詣した歳に、二代将軍頼家の子、公暁
より命を奪われた。『吾妻鏡』には、首のないまま埋葬されたと
記されており、首を持ち去った公暁
が討たれたのちの首の行方について
は一切触れられていない。
 多くの謎の残る事件であるが『新
相模国風土記稿』(一八四一年)の
東田原村の項に「源実朝墓 村の中
程に在 塚上に五輪塔建り 承久元
年(一二一九年)武常晴 実朝の首
級を当所に持来り」という記述があ
る。この武常晴は、三浦半島地域を
本拠地とした御家人、三浦氏の家臣であり、のちに一族は現在
の当市寺山に移り住んだといわれている。なお、ここからほど
近い金剛寺には、源実朝像が安置されている。
 実朝はまた歌人としても名高く、私家集に『金塊和歌集』が
ある。歌碑に刻まれた和歌はそれに収められた一首であり、近
代を代表する歌人のひとりである佐佐木信綱の筆によるもので
ある。

 ものいはぬ 四方のけだもの すらだにも
       あはれなるかなや 親の子をおもふ

                秦野市教育委員会

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 「源実朝公御首塚」入口はこんな感じ

明日は「源実朝公御首塚」のディテールをもう少し、書くかなぁ。

そういえば・・・

買った白菜って、何となく・・・

首ほどのボリューム感があったりして・・・ヤヤヤ???

 

:説明板にある『金和歌集』は、『金和歌集』ではないだろうか?解像度の高い画像で見ても「塊」という文字に見えるんだよなぁ・・・ま、そういうコトもあるでしょう。