Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

つい10年前・・・実は50年前だったりして

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逗子海岸

上画像は2012年12月撮影なので、もう10年前になってしまった。ワガハイも老いてきたので、過去を振り返るときについ10年前・・・と言ってしまうのだが、よくよく考えてみると20年前だったり30年前だったりする。ま、この際だから危うい記憶領域の話でも少しまとめておくことにしよう。

 

東海道新幹線が開通した頃の記憶は何となくあるし、1964年の東京五輪だって、白黒テレビの前でワケも分からず応援していた記憶もおぼろげながらある。そして、今を生きるってぇコトは、やっぱりリアルに最先端なので、常にワガハイは最先端を生きてきたのである。まあ、それは皆さん同じなんだがねぇ。

生きてきた時代の共有感というのは、例えば小学校の頃なら誰もが「8時だよ!全員集合」を見ていて、このネタを分からないと仲間はずれになったねぇ。ザ・ドリフターズのメンバーに荒井注さんがおられた頃だねぇ・・・。NHKの朝ドラも、大河ドラマも、そして紅白も、今よりずっと注目度は高かったし、それらの放映時間になると街が静かになったりしたもんだ。

そういえば、朝ドラが終わるとアチコチの家で一斉に洗濯や布団が干されたりしていたなぁ・・・「全員集合」を見るために頑張って帰宅する、とかねぇ・・・録画なんて出来なかったからなぁ。

家庭にピアノが普及した時代でもあった。我が親戚筋の叔母さんに、ピアノ講師がいてねぇ・・・土曜日の午後に親に連れられてそのお宅に伺うと、なんか同年代の女子がズラリとレッスン待ちしていて、ナントも居心地が悪かった。その中には同じクラスの子もいたからなぁ。

今ではピアノの音が屋外に漏れ出していたら騒音問題になってしまうが、昔は夕方になるとアチコチの家から練習する音が聞こえてきたもんだ。すると親が聞き耳を立ててねぇ・・・近所のナントカチャンの方が上手い、とか、難曲を弾いているとか、まあ競い出すんだな。これやられるから何となく子供の人間関係もギクシャクしてくる。

ワガハイは、音楽というのも腕やら指を激しく動かすし、ある意味体育と似ているなぁ・・・と思っていた。すぐに競い出すし、間違えないで弾けるかどうか?が問われているんで、算数にも似ていると思ったなぁ。ナニするにも競争させられるっていうのは、ど~も苦手でねぇ・・・適当な理由を探してサボっていたなぁ。

 

そんなコトよりも、近所の精肉店に入荷した「鹿児島黒豚」っていう貼紙が気になって仕方なかったなぁ・・・母と一緒に買物に行ってですな、店員を前に「くろぶた~、くろぶた食べてみた~い!」ってゴネまくってねぇ・・・ちょっと高かったから母は渋っていたんだが、引くに引けなくなってご購入となったな。ま、後で怒られたがね。

ああ・・・あっりゃぁ~美味かったなぁ。

ゴネてみるもんだ!と、学んだなぁ。

以来、ゴネるのは食い物ばかり。名古屋コーチンもゴネたなぁ。

なんかねぇ・・・美味かったメシの記憶の方が鮮明だなぁ。

 

ある日、叔父が結婚するとかで、小学校3年位だったと思うんだが・・・学校から帰宅すると休む間もなく母に連れられて藤沢だったか、平塚だったか・・・小田原だったかもしれないが、百貨店に行った。つまり、ワガハイが披露宴に出席するための服を買いに行ったんだな。この服がナントモ嫌いでねぇ・・・あの時の写真を見るといまだにウンザリするんだな。百貨店の店内で「そんなの嫌だ~っ!」ってゴネたんだけど、あの時はゴネても通用しなかったなぁ。

ま、ワガハイが余りにも不機嫌になった上に、エネルギーを使い果たして腹ぺこになったんで、デパ地下であるが・・・フランクフルトソーセージを食ったなぁ。ありゃあ、美味かったんだが・・・漂ってくる中華蕎麦の香りが悲しかったなぁ。本当はそっちが食べたかったんだが、「夕飯が食べられなくなるから」の一言で母の却下にあった。

 

さて、叔父の結婚式が近づいて、ワガハイはあの衣装を着なければならないという拷問に、いよいよ嫌気が高まってきた。で、その衣装のナニが気に入らなかったのか、というと、胸元についていたワッペンのデザインが気に入らなかったんである。というコトに気付いたんで、母の目を盗んでその濃紺のブレザーに縫い付けられていたワッペンを、そ~っと外したんだな。我ながら、コレでイイ感じだぞ!と思ったもんだ。

当日、何故かしっかりとワッペンは元に戻っていたんだが・・・ワガハイはしくじったと思ったなぁ。なんでワッペンを切り刻んで捨てなかったのか、と。で、結婚式に出かけるにあたり、ワガハイと母は一悶着あったのだが、それは父のたった一言で片が付いた。

「悦朗!横浜中華街で美味い料理が食べられるんだぞ!」

ああ、忘れもしない重慶飯店!!大人たちの目を盗んで酒も一口呑んでみたり、ハマってしまったフカヒレスープのおかわりをゴリ押ししたり・・・あれ以来、父には重慶飯店に連れて行け!って何度言ったことだろうなぁ。

ま、余りにも言うから重慶飯店のバイキングに連れて行ってくれたコトもあった。ありゃあ天国だったねぇ・・・子供のワガハイは、バイキング形式だったのが更に嬉しくて、フカヒレスープの寸胴の横を離れず、ひたすらフカヒレスープを味わい続けたんだなぁ・・・さすがに後で猛烈に喉が渇いたケドね。今、同じコトやったら血圧でアウトだな。

大人になってから、神奈川県民ホールで仕事があった時に中華街で昼飯を食った。突然、重慶飯店のコトを思い出してねぇ・・・ランチ頂いたな。美味かったんだけどねぇ・・・昔を懐かしむコトは出来なかった。なんか、やっぱり料理っていうのも時代の流れのなかで変遷していくもんですな。当時とはシェフも変わっただろうし、ワガハイの舌も大人になってしまったからね。

 

ま、最近は本格的な中華料理をお店で楽しむというのも難しくなった。なにせ胡麻アレルギーになってしまったからなぁ。もう中華街に行くコトもないだろう。ワガハイの体質に大変革が起らないとダメなんだな。でもオリーブオイルは問題無いから、楽しむなら地中海料理だな。メディテレーニアン(Mediterranean)って、なんかメデタイ・・・ような感じがしてイイよなぁ・・・と、前向きに考えている次第だ。