Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

本当に昔はヨカッタんだろうか・・・「くずはの広場」を散策しながら妄想する その1

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ガマズミ Viburnum dilatatum]レンプクソウ科 ガマズミ属 神奈川県秦野市にて

ガマズミが赤い実を付けていた。熟した実を果実酒にすると良い。我家ではもう十年以上前に採取したガマズミ酒があるんだが、時々味わっている。甘さに僅かな苦味があって野趣を楽しめる。

そのガマズミ酒、ソロソロ残り少なくなってきたので、低山散歩などしてガマズミを見かけたら少々頂いて、ホワイトリカーに漬けておくといいのだが・・・アレルギー持ちというのは厄介で、先日、ちょっとしたフィールドにも満たないような公園を歩いたところ、目が異常に痒くなって散歩を途中で諦めた。鼻や気管支が大丈夫だったのはマスク効果だろう。

結局、コロナだろうが何だろうが一年のうちの大半が、何らかのアレルゲンが飛散しているのでマスクを外して外を歩くことが難しい。だから別にマスクして散歩していても、そのことが原因で不快感を伴うというコトはなくなった。息苦しくないか、といえば、ソモソモが何となく呼吸機能が低下しているのだろうか、以前に比べれば歩きはゆっくりとなった。息を荒げないように歩く・・・そういう習慣になったのだ。

 

元々が虚弱だから、かつて元気だった頃と言っても、フツ~の人と比べれば大したことはない。だが、数年前の方が確実に状態は良かったのだから、どうしても昔はヨカッタ・・・という気持ちが強くなってくる。ナニやっても「昔はヨカッタなぁ・・・」とココロの内でつぶやいている。

だからだろうか?「昔懐かしい・・・」といったキャッチフレーズの商品に弱くなったように思う。先日は「昔ながらの どじょういんげん 豊かな風味 平塚産」というインゲン豆にクラッときて購入してしまった。それは美味しいインゲンだったのでヨカッタのだが、どうも「昔はヨカッタ」的なコトに引っ掛かるようになった。

※ どじょういんげんPhaseolus vulgaris L.マメ科インゲンマメ属 原産地 中央アメリカ コロンブスの新大陸発見によって欧州にもたらされたインゲン豆は、日本へは、隠元禅師(黄檗宗の開祖)によって1654年に伝わった。

 

さて、果たして本当に昔はヨカッタんだろうか?と言えば、個人的なコトではなく、世界全体に視野を広げればイイわけでもなく、悪いわけでもない。なんか・・・昔は、やがてやって来る危機を知らずに世の中が動いていた、というだけで、最近はいよいよヤバくなってきたというリアリティが認知されてきた、というコトだろうか。故に最近の方がより世界は困難を抱えていて、悪い方向へ進んでいると感じるようになった、ということかもしれない。

COP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)の様子でも、一段と危機的状況になってきているというコトについては参加国は理解しているだろう。だが、やっぱり政治的な問題でトーンダウンしてしまうなぁ・・・グレタ・トゥーンベリさんの「政治家や権力を持つ人たちが、気候変動の影響を受けている人がいるという現実を深刻に受け止めているふりをしているだけだ」という言葉は、例によって痛烈な批判だが、「フリして生きている・・・」ってぇヤツは、何処かで聴いたコトのある歌詞なんだが・・・なんだったっけかなぁ?

 

先日の衆議院選でも、各政党の言っている内容っていうのも、概ね似たようなコトを言っていたワケで、危機感というのは共有していたワケだ。だから一応は分かっている・・・でも本音と建て前なのか、直ぐにグズグズになっていってしまう。国際社会でも同じコトだ。中国が核兵器を増強しているというニュースもあるし、いつでも余計なコトにエネルギーを消費して、その日その日を積み上げている。だいたいCO2削減っていうなら、戦闘機やら空母なんてぇヤツを動かさないことだ。ああいうのは凄~く燃費悪そうだからなぁ。

 

兵器作る金があったなら、美味いモノを作った方がいい。良い物がそこにあれば・・・それがかけがえのないものだと分かっているならば、それを破壊するような者は無粋であろう。そうしてかつて、ボルドーの葡萄畑は戦乱の中でも残った。不思議なコトに戦死者は出ても葡萄は残った。そういうコトならば、ワガハイは幾らか妥協して理解出来る。

だが、長崎の浦上で原爆は炸裂してしまった・・・多くの死者と天主堂という象徴性のある建物も破壊された。その象徴性は、破壊者の側の方が、その意味を良く理解出来るものだったはずだ。つまり、そうして誤爆は何処でも続く・・・精密に標的を狙っても誤爆がつきものだ。子供達の死という謝罪では済まない過ちが繰り返されている。

だから、やがて戦乱の世になれば・・・次回はボルドーの葡萄畑も焼き尽くされるだろうな。その価値を理解しないならば、単なる畑に過ぎない。それに葡萄畑を略奪したとしても、その場の象徴性を理解しないならば、大したワインは出来ないだろう。ものづくりはテクニックだけでは解決つかないからなぁ。

日本には、攻められても保全されるものがあるだろうか?神社仏閣とて、その信仰の価値が分からなければ、ただの建築物に過ぎない。そしてその価値が思想に合致しなければ、エンターテインメントにもならないだろう。偶像破壊っていうのが大昔から時々起ることからしても・・・そういうコトだよなぁ(国旗は焼かれ、銅像はすぐに引き倒されるよなぁ・・・日本車にも火が付けられたよなぁ)

 

多分、温暖化っていうのは、全世界を真綿で締め上げるような脅威だろう。その脅威は、人間が作り出したどんな兵器よりも厳しい局面を生じさせるだろう。何故なら、兵器はとりあえず封印すれば良い。だが気候変動はそう簡単には封印が効かないだろう。そして気候変動を攻略するのも科学技術なんですかな?その技術開発に資金を投入出来るところが儲けて生き残って行く・・・という筋書きを選ぶんですかなぁ?

ま、下手するとあらゆるものがぶっ壊れますな。創造は破壊だっていうケド・・・どうなんでしょうねぇ?

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神奈川県秦野市 くずはの広場にて

蛇行する葛葉川の一角にある「くずはの広場」、その入口の「自然観察施設くずはの家」はログハウスで、まわりの木々に溶け込んでそこにある。そして丹沢を構成する岩石の見本がズラリと並んでいる。こういうのを見て、その成り立ちを妄想しているだけで、なんとアホくさいコトで人間という動物は悩んでいるんだろう・・・と思う。

それは夜空を見上げても思うしねぇ・・・お月さん綺麗なんだから、そういうところまで利権・覇権絡みでロケット打ち上げたりして欲しくないですなぁ。ま、そういう考え方しか出来ない些末な方々の集まりが国際会議だとしたら、ワガハイも気持ちだけは若くして、グレタ・トゥーンベリさんに賛同ですな。わざわざグラスゴーに集結するために巨大な専用機を飛ばすコトも無かろう(ま、グラスゴーっていうのも、なんだか意味深な場所で会議やりますな・・・勘ぐりすぎかな?)

くずはの広場ってどんなところ? | 秦野市役所 (city.hadano.kanagawa.jp)

 

次回に続く