危惧することは起こるもんだな。やっぱりイースターでクラスターは発生したね。殆どの教会では不用意なことはしなかったと思うんだが・・・
まあ、祈祷ということが最も人工的なコト?みたいな記述内容を何処かで読んだ記憶があるんだが・・・フォイエルバッハかな?ん~~~~~?確証はないな。でもまあ、もっともなコトだと思いますな。人工的(だったと思うんだが)という言い方はクールな言い方であって、要するに欲望のかたまり的なコト、ってぇヤツだな。いかにも理性的に見えていながらも、その反対のコトになっちゃっておるんだ。人間という動物の姿ではあろう。
当ブログでイースターを危惧したのは以下のリンク先だな。
ノリタケさんのコーヒーカップに亀裂が生じたというのは、実際に起きた我家の一大事だったんだが、それもまた、イースターでのクラスターを危惧する意味合いで合致する例えになるのでは?と思いましたな。
復活を記念するというのは、不正確ながら茶道で利休さんを偲ぶことと共通することはあるだろうな。緑色の茶を囲んでお点前の中に脈々と続いてきた時間を感ずることと、十字架から解き放たれて復活したイエスを、赤色のぶどう酒(またはホスチア)を囲んでその礼拝型式(お点前)の中に脈々と続いてきた時間を感ずること。単に文字の記録ではなく、そこに今生きる人間の身体を通して記念すること、あるいは脈々と続いてきた時間を共有すること、なんだろう。まあ、そんなの錯覚さ、と言ってしまえばそうかもしれない。しかし、それが古典的なバーチャルリアリティーだと思えば、いかにそうした現実と非現実が交差することを人間が欲しているか、ということでもあろうな。
まあ・・・我慢出来なかったんだね。ハッキリ言って過越の意味を噛みしめていなかったんだろうな・・・四旬節の間に(まあ、読解に厄介な内容だからねぇ)。特に旧約聖書のレビ記とかは妙な内容だから読み込んでいない人が多いだろうからな(聖職者でもわかんねぇ~って言った人がいるからな)。旧約を読めば、大昔の感染症対策と思われる記述も出てくる。そもそもアブラハムあたりから出てくる。ナルホドと思うところもありますぞぃ!
暇がある人はサクッと旧約など読んでみると良いですぞ。な~に、聖職者だってわかんねぇ~って言っているんだから、ガチで読まなくたって良いんですわ。でもまあ、サクッって言ったって全部読むと長大だからねぇ・・・速読ではなく、普通に読むと2~3ヶ月は掛かるだろうなぁ・・・
ワガハイは凄く暇人だった時に読んでみましたな。「失われた時を求めて」と「旧約聖書」のどちらを読むか、で迷いましたがな。村上春樹さんの小説でも暇なシーンで「失われた時を求めて」でも読むか・・・みたいな記述があったなぁ?どの小説だったっけね?調べるにしてもブックオフに持って行っちゃったからなぁ・・・ポリポリ。
メタファー(隠喩)の読み込みのことを想定すれば、先に「旧・新約聖書」を読んでおく方が、後々都合がいいということはある。結局、西欧の文学・思想を楽しく読むには「聖書」は避けて通れないということは実感しましたな。ま、絵画や彫刻もそうなんだが。(因みに般若心経の読解ってぇのも面白かったですな)
説明は大いに端折ってしまうが、身体性とメタファーはセットですな。
本日、妙に面倒くさいコトに触れたのは、身近な人間が最近「ツァラトゥストラは・・・」を読んでいて、こんなに面白いとは思わなかった・・・らしい。で、その人にもイイ感じの備忘録になるんじゃなかろうか?ということでこの内容。勿論、当ブログも読まれているからなぁ・・・ポリポリ。
さて、本日の藤は・・・
藤の花期は案外長いですな。でも、マイド藤の画像だけじゃ飽きてしまうかもしれないねぇ・・・ということでサービスカットだな。
変異ウイルスはヤバイね。でも根負けしたらダメだな。結局は欲望との戦いに勝利しないといけないんだろうな。ナニが新型コロナウイルスに勝利した証し・・・であろうか?終わったらボロ負けしてたりして・・・これもまた危惧することであるな。危惧することは実現・・・しませんように。
想定外・・・とは言えないからねぇ。