神奈川県足柄上郡松田町寄というトコロへ向かう途中で撮影したんだが・・・花粉が大変なコトになっていた。
今季も非常にヤバいコトになっている!
いつでも飛散OK!ってな感じでスタンバっている。
こんな枝だらけだったのだ。
おそろしや~~おそろしや・・・お化けより怖い。
以上、緊急報告まで。
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さて・・・またまた「さて」である。
このところ、輪島塗のコトから「漆」について少々書いてみた。昔、漆芸関係の取材をしたコトがあったので、その時のコトを思い出しつつ、手持ち資料も確認しながら書いてみた。
目的は輪島塗の復興のため、漆器に縁の無かった人たちが漆芸という世界があるコトを覚えてもらえるだけでも嬉しい。なんか、陶芸よりも取っつきにくいかもしれない「漆芸」にも思えるので。
まあ・・・陶芸は土だからなぁ。カブレないからねぇ・・・・漆はやっぱり扱いに配慮しなければならないから、趣味で漆器はなかなか手が出せない。やっている人もおられるケド。
それで、カブレるといえば面白い話をある漆作家から聞いたコトがある。その方は何十年と漆を使ってきたワケだが、漆に身体が慣れるコトなく、カブレるという。だから手袋をして、注意して制作されている。この方の育った家庭は、漆関係ではなかったという。
だが、その作家の奥様は塗師の家庭で育ったらしく、極めて漆にカブレにくい体質なのだそうだ。そしてその作家の子供たちも漆カブレしないという。
こういうのって、一概には言えないけれど、世代を重ねると身体能力が適応していくのかもしれない。
ワガハイは、比較的カブレにくいとは思うけれど、触ってしまえばプクッと赤く皮膚が膨れて、あとは猛烈に痒くなるからねぇ。漆に近づいただけでカブレるようなコトはないけれど。
では、カブレたらどうするか?というと、酷くなければ放っておけばそのうち治る。酷いようなら皮膚科に行った方がいい。それが一番安全で確実だ。ただ、何人もの漆関係者の話しからすると、漆性の皮膚炎って治れば跡が残るようなコトもなく、綺麗に治るらしい。ただし、痒いからといって搔きむしらないコトだそうだ。
さて、漆一般のコトばかりでもナンなんで、輪島塗の歴史について少し書いておこうと思う。
輪島塗の発祥は、紀州根来寺の僧侶が輪島にやって来たと・・・それは応永年間(1394~1428年)だったという。重蓮寺というトコロに僧侶が寄偶していた際に、その寺用に家具やお膳、椀を作ったらしい。それが発祥といわれる。
「昔の根来塗」から始まったんだねぇ。
昔はよくある話・・・坊主が文化をもたらす。コレ、洋の東西を問わず、聞く話だ。
そして話は端折るが、寛文年間(1661~1673年)に小峰山で採れる「地の粉」※という下地に使われる材料を発見し、コレが輪島塗の輪島塗たる本堅地という技法に繋がる。
あと、沈金という加飾技法は輪島塗の特徴のひとつだが、この技法は享保年間(1716~1736年)に始まった。まあまあ徳川吉宗の時代になってくると、今の輪島塗のスタイルに近い感じになってきたんだろう。
暴れん坊将軍の頃、マツケンサンバを踊りながら、輪島塗の椀で味噌汁を飲んでいたワケではないんだが・・・な~~んか、勝手にそういうイメージをしてしまうのだった。
※ 輪島市の小峰山の珪藻土については、専門的な内容になるけれど、以下サイトからPDFを参照されたい。(2024/01/19 18:00 追記)