Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

巨峰とソービニヨン・ブランの花・・・新梢一枝に一房

終わりかけだけど・・・巨峰の花

鉢植えの巨峰の花が終わりだ。チョット先送りしていたら、撮影のタイミングを逸してしまった。それは・・・地味な花だからねぇ。形は、面白いと言えば面白いけれど。

葡萄の花の香りは素晴らしくさわやかな感じ。コレは何かの機会に多くの人に楽しんでもらう機会があればいいのに、と思う。だが、実が出来れば葡萄狩りで大騒ぎになるが、葡萄の花で人が集まるってコトなんて、ないわなぁ。

この巨峰の苗は、十年程前にご近所の方から頂いた。その方は、巨峰を庭に植えられていて、選定枝を挿し木にしたという。我が家は庭植えにするゆとりがなかったので、鉢植えにした。だが、葡萄の鉢植えで実を成らせるのは難しい。そして欲張って多くの房を付けさせようとしたら絶対に失敗する。

そりゃそうだ・・・根の量が限られてしまうからねぇ。

そして盆栽仕立てになるから、樹体に合わせて実も小振りになるのは致し方ない。実が小振りの巨峰が巨峰らしいかどうかは別にして、それでも使う土や肥料、水のコントロールに手間暇かけると、糖度は素晴らしく上がる。

これも巨峰

この巨峰は、苗を頂いた時点で何となく弱勢で、なかなか新梢を勢いよく伸ばすことがなかった。だから多めに施肥してみると病害が発生した。アレコレ調整してようやく収穫に成功するのだが・・・あと少しのところでハクビシンと推定される犯人に食べられてしまったり、最近では真夏の暑さで実が焼けてダメになってしまったりと・・・このところ収穫まで至らない。

今年は花の状態も良かったので、2房程度の収穫が出来れば目標達成である。

10号鉢で2房の収穫・・・まあ、ささやかな収穫だけど、それが得られれば嬉しいもんだ。

ソービニヨン・ブランの花

ソービニヨン・ブランも開花の頂点は過ぎた。コレもピークを撮り逃した。

ソービニヨン・ブランの鉢植え・・・コレはとても難しい。欧州品種だけに湿度に弱い。これからやって来る梅雨時を乗り切るのに神経を使う。無防備に雨に当てたら、まあ・・・ナニガシカの問題が生ずる。

地上部の茎や葉については、案外虫害は少ない。だが、カビ関係は非常に厳しい。そしてここ数年で分かったコトだが、接木苗の台木によっては、ドウガネブイブイの幼虫に根を食い荒らされやすいみたいだ。このソービニヨン・ブランの台木は「3309」だが、昨年は根が食害された。

そして昨今の真夏の暑さに、ナカナカこれまた困難さがある。昨年は、これまたあと一歩のところで実が焼けた。水分切れは起こしていないのだが、ど~にも我が家は日射が強すぎるようだ。今季は鉢の置き場所を考えなくてはならない。

これもソービニヨン・ブラン

巨峰とソービニヨン・ブランの、撮影タイミングを逸した花の画像となったが、それでも随分と雰囲気が違うコトはお分かり頂けるのではないか?

温室があったらねぇ・・・メルローとか、ネヘレスコールとか育ててみたいけれど。

特にネヘレスコール

エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。また、ざくろやいちじくも取った。民数記 13章23節(新共同訳)

この「二人で担いだ」葡萄は、ネヘレスコールと言われているのは・・・有名だねぇ。

そして「一房のぶどうの付いた枝」からナニゲに分かるコトは、ソレってブドウ(果物)栽培の基本だよなぁ。

新梢一枝に一房・・・美味しいブドウを得るための基本だけど、ソレって古くから知られていたコトであって、たぶん・・・特に新約聖書内で語られるブドウに関する例え話ってぇヤツは、このブドウ栽培の基本に通ずる例えだと思うのだ。

 

聖職者(司祭・牧師)にワガハイは言いたい!ブドウ・・・育ててみたら?割と育てやすいデラウエアでもいいから。聖書の読解世界が広がるケドねぇ。

ま、あんまり読解が広がると・・・伝統が崩れますかな?(神学解釈って変なトコロあるもんなぁ)

わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。ヨハネによる福音書 15章 04節(新共同訳)

いいブドウの実を得るには、一枝に一房だ!

摘房された房は・・・それがなければ良い実が得られないのだ。それは礎。それは土に還って再び戻ってくるのだ。