Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

「隔世の感」を喫するような感覚・・・ホトトギスの撮影

ホトトギス(昨日の画像より近づいて撮影・・・幾らか構造は分かりやすいか?)

マクロ撮影には被写界深度のコントロールが特に重要だ。それは背景をボカして画像の雰囲気を良くするという、ありがちな問題ではなく、被写体のどこからどこまでをピント範囲に収めるか?という話だ(深度合成撮影のコトはとりあえず無しというコトで)

 

ファインダー上での被写界深度の確認は、光学ファインダーに慣れていれば、その方が(電子ビューファインダーよりも)手っ取り早い・・・あくまでもファインダー画面上の話だが、細かいニュアンスはやっぱり光学ファインダーの方が見えるからねぇ。

でも、ファインダー像と撮像面(フィルム面)の一致精度っていう問題は、デジタルの方が割り切れるけど。デジタルカメラは調整可能な機種もあるし、面倒だが裏面の液晶画面を拡大表示にして確認出来なくはない。

フィルムの場合は厄介だけど・・・アナログ派がめっきり少なくなった現在、フィルムカメラのコトを書いても、実質的にはな~んのお役にたたない昨今だが・・・フィルム面って前後に動くからねぇ。

35mmカメラの場合、フィルム面はカールしているし・・・それを圧着版で押さえ込んでいてもフラットにはならない。だから画面中心部と周辺部ではピント面がかなりズレてしまう。微妙な問題に思われるかもしれないが、結像面での微妙な位置のズレを被写体の位置のズレに置き換えると・・・相当なズレに拡大されてしまうからねぇ。

更には、フィルムのはじめの頃(一枚目とか5枚目とか・・・)と、36枚撮りの終わり辺りでは、フィルムの巻き癖の影響もあってピント面の安定度が変わってしまう。まあ、こういう問題って高級なカメラだとフィルムガイドローラーの数が多かったりして、幾らか改善されるんだが・・・普及機だとガイドローラーが1本だったり、全く無かったりするからねぇ・・・そうなると極端な話、片ボケの画像になったりする。

だから高倍率撮影はとても厄介だった。マクロ撮影、顕微鏡撮影、望遠鏡撮影でも。機材のクセを把握しておくコトが大切だったなぁ・・・微妙なさじ加減が多かった。

 

上画像は、被写界深度としては計画通りの範囲を設定出来たんだが、風で振られた分だけピントの中心とした部分が微妙だが前後に動いてしまった。こういうのは更に絞り込んでしまえば一応の解決は着くんだが・・・そうすると背景が煩くなってくる。

絵的なコトだけ考えれば背景を剪定したり、ナニガシカで押さえ込んだりしてしまった方が手っ取り早い。図鑑のようなモノを作るという目的ならば、庭の植物だけに切り花にして室内に持ち込み、ライティングでしっかりと作り込んでしまう方が容易い。

庭とてフィールドである。やっぱりスタジオ撮影は楽だな、つまらないケド。(ダレだったか忘れたが、魚屋で買ってきた魚を自宅スタジオで撮影して写真集作った人がいたような気がする。)

 

デジタルになって、スタジオ撮影機材も昔よりもラフなものになった。この程度のLEDライトでも、結構綺麗に撮影出来て仕舞うのか?と唖然としたもんだ。ワガハイの若かった頃は、ハッセルにバルカーっていう、今から思えば真空管のような世界の機材だったからねぇ(ワガハイ的には定常光のファティフの光質が好みだったケド)

でもやっぱり、電圧調整したタングステン・ライトの方が、LEDよりも色再現性はイイ感じがする。それはデジタルカメラでの撮影でも。ただし、花の撮影では発熱の少ない照明の方が、花への影響が少ないので楽だけど・・・まあ、自分も暑くないから楽だけど。

 

庭植えのホトトギスは、まだ暫くはガンガン咲き続けるだろう。ゆえに、大して展開が期待出来ないにもかかわらず、庭にカメラを持ち出しては撮影するコトになる。特に機材に凝るコトもなく。そしてアナログ時代のコトを思い出しながら、隔世の感に浸るんである。

なんか・・・「隔世の感」を喫するような感覚になってきたなぁ。老人だねぇ。