昨日6月12日の日曜日、寝坊してNHK日曜美術館をみていると「唐招提寺」だった。こりゃあイイねぇ~、と熱心な気分で見始めた。日曜美術館で集中力を持って視聴するなんてお久しぶりだ。
概ね知識的には新たなコトはなかった。だが、唐招提寺って何年前に行ったんだろう?と記憶を遡って行くと、結婚してからは行ってなさそうだ。
ソモソモ夫婦で奈良に行ったのは、大阪からの帰宅時に通り抜けた一回だけで、「秋篠寺」と、県境を少し越えた木津にある「京都府立山城郷土資料館」(←コレは興味深い展示だった)「笠置寺弥勒磨崖仏」を訪ねただけだ。(やっぱり法隆寺も唐招提寺も、えらいご無沙汰になっているな。)
そしてダラダラと国道163号で伊賀上野を抜け、道標に「松坂」ってぇ文字を見つけたからそれに従い・・・駅前のビジネスホテルに飛び込みでチェックイン出来たから一泊するコトにして・・・「松阪牛」を食べたなぁ(コレは色褪せない記憶)。
翌日、妻が伊勢神宮は参拝したことがないと言うから伊勢参りをして、鳥羽から伊良湖までフェリーで渡って帰宅したんだなぁ(伊勢湾フェリーからの風景ってイイよねぇ・・・55分の船旅だがお勧めだねぇ)。
思い出話はこの位にして・・・
日曜美術館ではやっぱり「東山魁夷の御影堂障壁画」が採り上げられていた。ま、コレはお約束だねぇ・・・それで障壁画の制作意図が解かれていたワケだ。鑑真が五度のチャレンジで失明しつつも日本に渡ってこられたんだから、そりゃ手段を講じて記念せざるを得ない。「国宝・鑑真和上坐像」は、そうした気概を受けて鑑真像をカタチにされた傑作だと、感銘したなぁ。
で、鑑真の生き方を考え抜いた上で「東山魁夷の御影堂障壁画」が出来上がっているコトも分かりやすい番組内容だったが・・・ここでワガハイは雑念のカタマリと化した。
ワガハイだったら日本の海景を描いたりはしなかっただろう。鑑真の苦難を描くという構想から始まってしまうだろう。だが、ここからが東山魁夷と違い、ワガハイは御影堂の空間に籠もって構想を喝破しようとする・・・そして図像を描くという技法は用いないコトになるような気がする。ま、ワガハイは禅寺的な感性なんだろう(言うまでもなく、禅は鎌倉期以降だけど)。
究極、ワガハイ的には障壁画って邪魔に感ずるコトが多い。だから御影堂の空間もうるさいと感じはする。だからといって文化財を尊重する気持ちに変わりはないんだがね。
さて、鑑真の持ち込んだ仏教のタネは、現在に至る日本的な状況を作り出したコトは間違いない。それはあらゆる日本人の潜在意識を染めて無意識の領域に流れていると思う。まあ、最近の状況では随分と薄められる速度が早まっているようにも感ずるが。
で、山際を歩くとモミジは元気に生きている。当面、枯れてしまう心配も無さそうな具合に葉色もよろしく、林道の脇でのびのびと枝葉を茂らせていた。そしてタネも落とし始めていた。このタネ・・・そうそうイイ場所に落ちて発芽するワケではないだろう。それでも綺麗な色カタチのタネを沢山付けていた。
種の保存と文化の保存(伝承)・・・それは人間という動物だって同じコトだ。だが、ま、とりあえず核放棄と戦争という手段の放棄ってぇヤツが世界標準にならんコトには、ナニやっても虚しいわなぁ・・・と、上画像を撮影しながら思ってしまうのだった。
29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。マタイによる福音書 6章 新共同訳
というコトで、虚しさを喝破すべく日々を過ごす・・・いや、そういうコトにとらわれるコトもなく、〈あなたがたにはなおさらのこと〉として飄々と生きたいもんだねぇ。マタイ6章の言葉っていうのは、しばしばワガハイのアタマを過るんだなぁ。