毎日慌ただしく生きていると、ナニか頑張っているようでいて、充実していると感じている若い頃もあった。スケジュール表の空欄が恐怖、という程ではなかったが、宜しくないと感じていたのは・・・まだバブル末期だったねぇ。
ワガハイ、二十代だったが、同級生の何人かが非常に厳しい人生の選択を迫られた。一流大学を卒業して、東証一部上場企業に就職して・・・心を病んで、或いは命を絶って。若くして癌で亡くなった人も。
ワガハイは、あまり同級生との付き合いを維持するコトもなく、新しい社会と人間関係に突入していったので、そうした苦境に置かれた人たちのコトを後で知るコトになった。それでも2人ほどは苦境において交流を続けていたので、現在でも年賀状のやりとりだけ続いている。
ワガハイも人生において、様々な苦境に遭遇しているが・・・酷い小児喘息に始まった身体のダメージは未だに引きずっているし、大手術やら交通事故も経験した。お陰で修学旅行ってぇヤツも行けなかったりした。ま、そういう思い出を共有出来ていないコトもあって、同級生との付き合いが疎遠になったっていうコトもある。だいたい出席日数ギリギリで卒業なんてしていたからねぇ・・・クラス内でもワガハイは存在が薄かったかもしれない。
コロナ禍で学校生活の様々なアタリマエの経験が失われた今の若い方々は、悩ましいコトもあるだろう。だが、この苦境っていうのは全世界が共有している出来事なのだ。だから孤立しているというワケではない。いずれ何処かで、新しい世界観が生ずるタネが蒔かれたと思う。そのタネが芽吹くのは若い人たちの中の筈だし、その恵みを享受するのも若い人たちだ。
(空気の流れは全く変わっている・・・プーチンも老害だからヤメた方がいい。もうアンタの時代じゃない。老人が若者のこれからを奪っちゃいけない。)
ワガハイ、体育祭や遠足などといった学校行事に関しては、思い出はちょっと少なめである。そして多くの人が語る思い出の時間のワガハイは、学校の図書室で本を眺めているか、自宅でレコードを聴いているか、だ。
ま、人生それぞれである。ちょっとは多くの人たちの経験することを羨ましいと思った時期もあったが、その分、ワガハイはパウル・クレーやカンディンスキーの画集を眺めてボ~ッとする時間が得られたワケだし、ベートーヴェンのLPを擦り切れるほど聴くコトが出来たワケだ。
・・・こうして振り返ってみると、案外オサレな思春期を過ごしておったではないか!
現在は、パナソニック製鼻毛カッターがたてるチリチリとした音の切れ味にホレボレして、イイものを買ったとニタニタ過ごしている老人となった。
入学、入社、転職など、異動も多いこの季節は何かと大変だが、特に若い人たちには思いもしなかった人生の転換点っていうのは付きものだから、柔軟に生きていって欲しいなぁ・・・。やりたいコトと巡り合わせは必ずしも一致しないからねぇ。