Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

なぜ遠藤周作先生というように「先生」と付けるのか・・・1966年という時代と「踏絵の発明者」

昨日の当ブログは、もう少し書こうと思ったところで雷が近づいてきたので止めた。このブログ用に使っているPCは、だいぶ以前に書いた通り、鈍足を誇るDELLのノートPCである。

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DELLのパソコン全てが鈍足と言っているワケではないのでご注意を!そして上リンク内でも書いた通り、+4GBをDIYで増設した結果、一応ダマシダマシ使える程度になったというワケだ。

よく巷で解説されている、ネット閲覧とワード、エクセル使っている程度なら問題なく使用できる・・・なんていうのは全くアテにならない。なぜなら、この鈍足PCもそういう謳い文句であった。無論、そんなコトバなど信じてはおらぬが、やっぱりCORE i3は買って後悔するな。使い物になるのはi5以上でしょうな。そしてメモリ8GB以上、出来れば16GBはないと、さもない処理でもかったるいコトになるなぁ・・・

ノートPCならば、バッテリー使用でWi-Fiで繋げば雷からの被害は避けられると思うが・・・実際そうした環境で使っているんだが、ルーター周りの電源をヤバイので抜いてしまうからねぇ・・・落雷にはギリギリの経験もあるだけに、ビビるんですな。

 

さて、これから数回に分けて遠藤周作先生の「沈黙」について、気付いたことをメモしていこうと思うんですな。

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付箋だらけ

まず、なぜ遠藤周作先生というように・・・先生と付けるのか?なんだが、コトの始まりは相当昔の・・・ひょとすると「徹子の部屋」かもしれない。この番組は基本的にはあまり好きではないんだが、ゲストが五木寛之さんだったので視たな。五木さんは、身体を洗うのに石鹸や洗剤類を用いないというんである。まあ、そういった健康法というか理屈があることは知ってはいる。だが、ワガハイは実践してみても二日と続かなかった。感覚的にムリであったが、五木さんは続けているという話だった。そしてその理由は・・・

遠藤周作先生・・・あの周作先生が、ですよ!五木さん、それヤバイよっ!って言うんですよ!いいですか?あの周作先生がヤバイ!っていうコトバ使うんですよ。」

そんな内容だったねぇ。まあ、化学製品の、石油由来の成分などが入っているもので身体洗っていいわけがない、というような内容だったと記憶している。まあ、ワガハイは別に洗剤類に関しては濃度を守れば大丈夫という認識であるが、考え方は人それぞれである。周作先生の考え方を尊重しておこう。そして洗剤類の全てが石油由来というワケでもないからねぇ。

だが、このコロナ禍では手洗いなどの要所は、界面活性剤のご加護がなければ流石に周作先生もやってられなかっただろうなぁ・・・五木さんも、石鹸手洗いにアルコール消毒は欠かさない生活をされているんじゃなかろうか?

そんなことが記憶にあるので、五木さんの言い方がこびり付いていて、「遠藤周作先生」でワンセットになっちゃったんだな。だから、これに敬称を付けるとすると、「遠藤周作先生さま」になってしまう・・・のかもしれない。ま、アホな理由かもしれないが、そういうコトであるな。

 

「沈黙」についてメモする前に、刊行された年の出来事を振り返って、その時代の空気を思い出してみようと思う。

1966(昭和41)年3月、「沈黙」は新潮社から刊行された。阿川弘之さんの「山本五十六」も同年刊行のようだ。この年に関して多くの人が一番記憶に残っているのは「ザ・ビートルズ来日」だろう・・・日本武道館公演で、熱狂したファンが大混乱となって多数の若者が補導されたという。

ま、そのビートルズ武道館公演で補導された方達は、既にワクチン接種を二回終えられた年代になってしまったな。あの頃の熱狂、若かった時代のことを思い出せば、今の若い人達がコロナ禍で自粛の限界に達する感覚っていうのは、「まさか、忘れたとは言わせね~ぞ!松方弘樹さん演ずる東山の金さんのノリでお願いしますだぁ)」。

常磐ハワイアンセンター福島県いわき市)がオープンしたのも1966年だし、日産とプリンスが合併というのもある。横須賀に米原子力潜水艦が初入港し、新東京国際空港建設予定地が成田市三里塚閣議決定されたのもこの年だ。

まあ、いろいろなコトがあったんだが、他にも資料を見ていると佐藤栄作ソ連外相グロムイコ来日・・・なんていうのもあって、「グロムイコ・・・ねぇ~、なんか懐かしい名前だなぁ~」なんて、お会いしたこともないクセに思いますな。子供の頃に何度も聞いた名前だからなぁ・・・ナニやっている人かも知らずにね。

あと、ブラックなところでは「千葉大付属病院医局員がチフス菌や赤痢菌の人体実験をした容疑で逮捕」なんていうのも1966年だ。1964東京五輪が終わった2年後ですよ!高度経済成長の驕り高ぶりだかナンだかワカランが、おかしなことをやらかしてますな。

航空機事故も多かった・・・2月4日千歳発、全日空ボーイング727羽田空港着陸直前に墜落し、133人全員死亡。3月4日香港発、カナダ航空DC8が濃霧による視界不良のため羽田空港防潮堤に激突し炎上し、死者64人。その翌日3月5日、羽田経由で香港に向ったBOACボーイング707が富士山付近で空中分解して墜落し、124人全員死亡。もういいかげん飛行機事故は止めてくれという願いも虚しく11月13日、全日空YS一11が松山空港から離陸後に海上に墜落し、 50人全員死亡。これは子供だったからこそ、しっかりと飛行機恐怖症というものを植え付けられましたな。ソ連無人月探査機ルナ9号は、月面軟着陸に成功したんだけどね・・・地球では飛行機事故がとんでもなく多かったな。

133人+64人+124人 +50人=371人(1966年の国内旅客機事故による死者数)というコトだな。ああ、思い出しても「またか!」「えっ?また?」と、テレビから流れるニュースの音声に反応する母親の様子など、思い出すもんだ。

 

遠藤周作先生は、1964東京五輪の頃・・・多分ソレよりも前から構想を練って、そういう時代の空気を吸いながら物語を紡いでいった。まあ、めまぐるしく変化していく日本の風景とそれに伴う人々の気持ちの変化の中で、「神の沈黙」をテーマにしようというのは、やっぱり価値観の急激な変化に対する危惧というのがあったんでしょうな。

 

踏絵の発明者 新潮文庫版 p.70 から要約と整理

ヴァリニャーノ師が最も危険な人物と言われたイノウエが発明した踏絵という方法・・・一度は出世のために洗礼もうけたイノウエ・・・

イノウエは百姓信徒たちが、時にはキリストよりも聖母を崇拝していることを熟知していた・・・

 

ここの部分はしっかりと意味を推察しておきたいと思いますな。イノウエの役割は、新約聖書の中の登場人物の誰かの「改心の改心」のようにも思えるんですな。イノウエは数人分を担う役割が与えられた人物だからなぁ・・・。

 

次回に続く。