Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

昨日の小田急線内の事件・・・感受性の貧困は想像力以前の問題

十年以上前のことになる、いや、もっと前になるだろうか?ワガハイも某専門学校で少しだけ講師をやらせてもらったコトがあったのだが、その帰宅時だったな。新宿から小田急線に乗ろうとして、混雑は毎度のコトながら、その日はいつもに増して混雑していたので急行は諦めて各駅停車に乗った。時間はかかるが新百合ヶ丘か町田辺りまで行けば、幾らか車内空間に隙間が出来た急行に乗り換えることが出来るだろう、という作戦だった。

最後尾の車両の真ん中あたりに座り、車掌の仕事ぶりなど見ながらウトウトしていた。各駅停車は登戸を過ぎればガラ空きで、平凡な夜の倦怠感の漂う車内風景だった。

生田駅でドアが閉まり電車が動き出したのだが、突然急停止した。ホームを歩いていた男性が電車と接触したらしい。車掌が降りて対応しようと乗務員室の扉を開けると、怒鳴り声をあげて血まみれの男が乱入し、もみ合いとなった!

ワガハイの隣の男性が携帯で110番通報している・・・同じ車両には10人に満たない乗客がいたが、女性は悲鳴を上げて前方車両に避難し始めた。ワガハイは一応、華奢ではあるが男なので、バッグを盾に通路中央に立ちつつジリジリとあとずさりしていた。車掌は男をホームに押し出すことに成功した。駅員が走ってきた。運転士も走ってきた。そして抑え込みに成功した。間の抜けた頃に交番の警察官がやってきた。

その電車は30分ほど遅れただろうか?車掌は犯人の血で腕や制服が汚れていて、なんとも壮絶な様相になってしまったが、その状態で運転は再開し、確か新百合ヶ丘で車掌がもう一人乗り込んで対応し、途中・・・相模大野だったかなぁ?その車両は運転を打ち切った。

翌日の報道では、その血まみれ乱入男は酔っ払いで、ホームで足元がふらついて動き出した電車に接触して転んだようだ。酔っぱらっているから防御出来ずに、どこかを思いっきりぶつけるなどして流血となったのだろう。乱入などしなければ、ただ酔っぱらって電車にぶつかり、けがをしたというのなら、一応酒飲みのワガハイであるから同情の欠片ぐらいは残しておけるのだが。車掌に暴行を加えておったからなぁ・・・クソ馬鹿野郎だ。

 

昨日(8月6日)、小田急線で9人刺傷という事件が起きた。成城学園前―祖師ケ谷大蔵駅間を走行していた藤沢発新宿行きの快速急行が現場だという。快速急行ということは登戸を出ると下北沢まで9分ほどは停車駅がない。犯人は「逃げ場がなく大量に殺せるから電車でやった」と言っているらしい。この犯人は先の酔っ払い男のような衝動的な犯行ではなく、それなりにその人なりに綿密な計画的犯行なんだろう。包丁は用意してあるし、9分間という犯行に及ぶ時間も考慮している。

だが、ワガハイはこういう事件報道を見ると、いつも思う。結局捕まるという結末については、それでいい、と了承した上で犯行に及んでいるのだろうか?と。そして思いを遂げると、杉並区高井戸西1のコンビニエンスストアで身柄を確保されたという。高井戸西というと京王井の頭線沿線である。どのようなルートでそこまで行ったのかはワカランが、もっと遠くへ逃走するのでもなく、身を隠すのでもなく、コンビニしか行くところが無かったのだろうか?或いは、腹が減ったから何か食っていたのだろうか?

ワガハイは思うんだが、犯行後のコトまでしっかりと計画する能力があったなら、結局その行動が徒労に終わるという結論に達して、面倒だから家で寝ていよう・・・ってな結論になりはしないだろうか?部分は計画しても全体を見通す計画能力が欠如している。

犯人は「6年前くらいから幸せそうな人間を見ると殺してやろうという気持ちが芽生えた」とも言っているらしい。6年間の間に思考を切り替えられずに、思いだけが増幅していったということだろうか?そんな6年という時間の中でも、ナニヤラ些細なことでも充実したコトはなかったんだろうか?

ま、些細なコトでは満足しない・・・或いは気付かない、という乏しい感受性なのかもしれない。だが、逆に溢れるほど豊かなものを与えても、こういう感受性だと気づかないのかもしれない。

f:id:Etsuro1:20210807124157j:plain

成田山 新勝寺

なんで祈る、拝むんだろうねぇ・・・

さて、部分は計画しても全体を見通す計画能力が欠如しているということは、たぶん原稿の下読みもしないで式典に臨んでいる状態にも言えるだろう。そのお方は、広島平和記念資料館における記帳においても、どうやら形式しかないということがバレてしまった内容となっているらしい(言い換えれば自己中心的な世界観の中で生きる顕示欲の証)。その記帳を行う意味についての理解は、IOCの小川さん未満みたいだ。

「・・・この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。・・・」

遠藤周作「沈黙」新潮文庫 p.189

 確かに、根が腐っている・・・を通り越して、形骸を見るように思う。それも大した形骸ではなさそうに思える。

「祈り」とはなんなのか?「記念」とはなんなのか?なんで平和記念資料館というのか?問いかけるのも時間の無駄なのかもしれない。溢れるほど豊かなものを与えても、こういう感受性だと気づかないのかもしれない。感受性の貧困は想像力以前の問題ということが、新型コロナウイルス感染症対策にも表れているだろう。積み木をどこまで積み上げられるか?それがいつ崩れるか?という感受性がないんだな。

 

追記:夕方になると、幾らか小田急線の事件に関して情報が出てきた。高井戸のコンビニで店員に犯行を話し、警察が来てお縄になったらしい。なんか、人が死ななかったことが残念だったというような話だ。通勤電車内にも大量の監視カメラが必要になり、あるいは手荷物検査が必要になるのだろうか。兜に鎧でも着けて乗車するのだろうか?アメリカみたいに銃社会になるしかないっていうことか・・・冗談じゃない!

 

電車内の安全を、個人で確保するのは難しい。「逃げ場がなく大量に殺せるから電車でやった」という意図は、地下鉄サリン事件を彷彿とさせるものだ。

被害者の身体の快復と、更には心の快復を祈る。犯人はアタマ冷やして改心しなければならない。その道しか残されていないはずだ。