Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

寸足らずでも書いておこう・・・「炭火」はティベリアス湖畔でのバーベキューってコト?

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引き続き Paul Simon

二、三日前・・・大地震の夢を見た。す~~~っ、と1m以上、足元が平行移動する感覚があり、するとゴムが弾けるように急激な揺れ戻しが起った。デカイ地震だぞ!大変だ!と思った瞬間、一升瓶を抱えた呑兵衛の“みっちゃん”が宙をすっ飛んでいった。

「そんなワケはない!」と思った瞬間、目が覚めた。みっちゃんはど~しているだろうか?酒好きが高じて、あの有名な酒屋さん“はせがわ”の近所に住んでいる。きっとセッセとはせがわ通いをして、アルコ~ル消毒に励んでいるコトだろう。

みっちゃんは、実に旨そうにモノを食べ、酒を味わう人だ。あっという間に居酒屋の人気者になってしまう。そして店の人から「いいよ、いいよ!」と言われてタダメシを頂く人徳を併せ持っている。このブログのコトは年賀状に書いておいたから、時々見ているだろうか?

 

さて、350文字を使ったところでウォーミングアップ終了!いよいよ本題に入ろう・・・「炭火」について、だ。

ゴタゴタの丘・・・ではなくてゴルゴタの丘ヘブライ語で「されこうべの場所」)で類い希な冤罪で十字架に掛けられてしまった後、度々イエスさんは弟子達の前に現れたらしい。その極みが「ヨハネによる福音書  21章」だろう。

弟子達数人がティベリアス湖畔にいて舟で漁に出たが、その夜はなにもとれなかった。そして夜明け・・・イエスさんが岸辺に立っていたんだが、弟子達はイエスさんだと気付かなかった(なんというボケだろう)。で、「舟の右側に網を打て」という指示に従うと大量すぎて網を引き上げられない・・・で、その人がイエスさんだと気付くワケだ。ま、それで陸に上がると炭火がおこしてあり、その上に魚がのせてあり、パンも用意されていた。つまりイエスさんによるバーベキューじゃないか!

13 エスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。

ヨハネによる福音書  21章 日本聖書協会 新共同訳

 

 まあ、あまり日本語訳の聖書でディテールを追いかけすぎても仕方ないところはあるんだが、ヘブル語は全く読めないからなぁ・・・ポリポリ。だが、一応ワガハイが慣れている「新共同訳」では、最初に出てくる「炭火」という言葉は以下である。最初だから勿論、旧約聖書である。

01 アロンの子のナダブとアビフはそれぞれ香炉を取って炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前にささげたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。

レビ記 10章 日本聖書協会 新共同訳 ※1

 新共同訳よりも新しい「聖書協会共同訳」では、同じくレビ記ながら16章12節で、「炭火」が出てくる。

12 そして主の前の祭壇にある炭火を香炉に満たし、細かく挽いたかぐわしい香を両手一杯に取る。それから垂れ幕の中に携えて行く。

レビ記 16章 聖書協会共同訳 ※2

 まあ、レビ記とか民数記はねぇ・・・読解には悩ましいところがあるな。でも、祭壇に関わる「炭火」ということだ。それが「焼き尽くす献げ物」※3というコトとも絡んでくるが、その捧げ物の規定なんていうのも書かれているから、気になる人は調べてみるといい。それは現在の食肉の衛生とも共通することが多いからな。

で、ティベリアス湖畔でのバーベキューは、これ、ある意味で祭壇である。というよりも祭壇であるな。何かが変わっている・・・旧約聖書時代のニュアンスとは相当に変わっている。なんだかカジュアルになっているようにも感じてしまうのだが、引き継いでいる内容はむしろ雑味が取り払われて、まるで素晴らしい仕上がりの純米吟醸酒のようだ。

「主は焼き尽くす火であり、熱情の神・・・」なので、素晴らしい仕上がりの純米吟醸酒は、さしずめ火入れ酒であろうか?燗酒であろうか?と、すぐに呑兵衛のココロが顔を出してしまうが、この一瞬たじろいでしまいそうな「焼き尽くす」という言葉は、多分に大きな情熱を意味するのではなかろうか?とワガハイ的には捉えている。

11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

マタイによる福音書 3章 日本聖書協会 新共同訳

 わたしは・・・というのは洗礼者ヨハネさんだな。後から来る方とはイエスさんのコトだが、金属が火によって精錬されるように※4聖霊と火・・・真なる情熱であなたたちを見開かせる、というようなコトであろうか?まあ、表現がねぇ・・・強烈なもんだからビビってしまうんだが、案外、火だの焼き尽くすだの言うが、鬱陶しいほど親切で強烈な愛というコトなんだろうねぇ・・・

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Tony Levin・・・Steve Gadd・・・懐かしい名前

さて、2500文字を突破したところで、そろそろ〆に入ろう・・・「炭火を彼の頭に積む」というのはど~ゆ~コトであろうか?これ、ネット上でもいろいろ質問があったり、牧師さんと思われる人が書かれたりしているが、モヤモヤしておる方が多いようだ。これもまた、出来るだけ原典に近いところの言葉から解釈するというのがよろしいのだが、ワガハイはその道の研究者ではない。日本語訳の範疇で受け止める。

22 こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。

箴言 25章 日本聖書協会 新共同訳

これは敵対する者の頭の上に、火傷するような熱いものを置いていくような感じがして、なんだか復讐の一方法みたいに思っちゃったりするかもしれない。だが、敵意を焼き尽くすという浄化の話であろう。昔のエジプト文化の中にあった儀式にあるという。ま、様々な説明が検索に掛かるので、興味のある方は調べられるとよろしいかと思う。ワガハイ的には一発である。

20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」

ローマの信徒への手紙 12章 日本聖書協会 新共同訳 

 ここに全て集約されているように思われる。つまり「隣人を愛せ」であり、わざわざ日本の戦国武将の「敵に塩を送る」ということを説明に用いる必要はない(ソモソモ「敵に塩を送る」というのは、美談ではなさそうだからな)

 

コロナ禍で、毎日様々な問題が勃発し、感染者数はウナギ上りで、みんな嫌気がさして自粛疲れでイライラ・・・理解出来ない煽り運転のニュースも後を絶たず、政治家の顔など見る気もしなくなった。ワクチン接種会場に行けば、医療関係者の笑顔の裏に隠された疲れを感じ、それはチョロッと垣間見られた休憩室での困憊した看護師さんの姿。

こういう状況だから、頭にくるな、っていうのも無理がある。そういう場合は「飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ」という気持ちだけでも、歯を食いしばって維持する・・・そして「神だろ~が仏だろ~が、ナントかしやがれ!コンニャロ~っ!」て八つ当たりをする。「そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる」かもしれない。

新しきは旧き中に隠れ、旧きは新しき中で明かされる・・・あらゆるコトが循環のなかで存在し続けていることを思えば、やがて封じ込めた筈の汚染物質(不祥事)も、あらぬ処から顔を出すだろう・・・これは昨日の当ブログの内容だが、ジッと、出来れば冷静沈着にコトのナリユキを記録することだ。静かに、且つ着実に炭火を積むイメージを持って。ティベリアス湖畔でのバーベキューの炭火の意味を思いつつ。

それが、ワガハイ的には緻密な寛容(一昨日の当ブログ内容)のイメージでもある。あらためてダニ・カラヴァン(彫刻家)さんの表現を、再読しても良いのかもしれない。今まで読み取れなかったコトが見えてくるかもしれない、と思うのだった。勿論、彼の表現が正しいと言う訳ではない。アンビバレンスな状況に生じた表現のナニか炭火を積むイメージ)を、読み取ろうというコトだ。それは彼がユダヤの文化の中にあったとしても、そのイメージは旧新訳に関わりなくあり続けている種なのではないだろうか?

 

※1 ちなみに、新共同訳よりも新しい「聖書協会共同訳」のレビ記10章1節は・・・〈アロンの息子ナダブとアビフは自分の香炉を取って、火を入れて香をたき、命じられていない規定外の火を主の前に献げた。〉であり、「炭火」という言葉は使われずに訳されている。

※2 新共同訳での同じ章節ではこのようになる・・・〈次に、主の御前にある祭壇から炭火を取って香炉に満たし、細かい香草の香を両手にいっぱい携えて垂れ幕の奥に入り、〉

※3 〈20 ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。〉にはじまる捧げ物。 創世記 08章 日本聖書協会 新共同訳

※4 〈05 金は火で精錬され、人は屈辱のかまどで陶冶され、神に受け入れられる。〔病気のときも貧しいときも、主に依り頼め。〕〉シラ書〔集会の書〕02章 日本聖書協会 新共同訳 世の中でひでぇ~目にあっても神には受け入れられる・・・という慈悲深い言葉だ。しかし死後の世界ではなくて今、ナントカしてくれぃ~、っていうのが、現在の多くの人々が教会から離れる一因なんでしょうな。

 

ああ、3800文字超・・・ちょっと書きすぎだな。一気書き(いわばクロッキーだからなぁ・・・ポリポリ