Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

「日本書紀」に学ぶ理想・・・振り返ればカレンダーは「酒」の着予定ばかりなり

この10日間程のニュースを振り返ってみて、気になるコト、思い当たったコトなどをメモしておこうと思う。ま、備忘録ですな(あれっ?美貌録って変換したぞ!)

ということで、壁のカレンダーの書き込みなどもあらためてチェックしたみたのだが・・・

○日・・・「純米 國香」午前着予定

△日・・・ルーマニアワイン着予定(佐川)

▢日・・・ルバイヤート甲州シュールリー6本着予定(午前指定)

と、ナンダカ酒ばかりじゃないか!

 

ま、とにかくニュースを振り返ってみることにした。

 

◆2021年6月30日(水)

――「表現の不自由展かんさい」の会場予定となっていた大阪府立労働センターについて、使用許可が取り消された。展覧会主催者はこの件に関して憲法21条に反していると主張しているが、大阪府の吉村洋文知事は「施設の管理運営を考えると取り消すべきだ」と、施設の指定管理者に賛意。――

というような内容のニュースがあったんだが・・・これは本当に「不自由」な展覧会になっちゃったんだな。まさしくタイトルの通りになってしまった。という点では、なんか展覧会意図は果たされているような感じもするんだな。賛成か反対か、ということに限らず、いろいろ考えさせられた方々も多いだろうし、物議を醸しただけでも社会的な意味はあったんだろう。この状況下で果たして展覧会が開催されたらどうなるか?冷静な鑑賞に基づく議論は喚起されないだろうなぁ・・・それはアートの将来を考えた時にど~ナンだろうか?と、ワガハイ的には思うんだが。

ま、社会的タイトルをぶち上げた展覧会というのは今までにもあったし、知人からご案内など頂いたこともあって、足を運んだコトもあったが・・・アートの社会性なるテーマを何処かで抱いているのであろう企画者や作家の方々の意図や言論はともかく、作品がテーマに合致しているのだろうか?という不思議さにマイド包まれてしまうのであった。

無理するこたぁ~ないねぇ・・・社会性が無いというのも社会性の一つだろう。アートの社会性は、その扱う対象となる文化の事情に大きく関わるワケで、日本じゃあバンクシーってなワケにはいかないだろう。あの作品の意図やら意義を共有する感性のベースは、おそらく日本ではあまりに一般性がないだろうからなぁ・・・

 

◆2021年7月2日(金)

――東京五輪について無観客での開催を検討すべきとの声が与党にも――

というような話なワケだ。いよいよリアリティーが出て来たらビビリ始めたということかな。これは理論・・・いや?良心からではなく、心情的・感情的なコトから沸き起こったヤバさ加減であろう。それは自分自身の身の安全というコトだけでなく、政権存続のヤバさ加減であって、更には政党存続のヤバさという恐怖でもあり得るだろうなぁ。

まあ、危険な橋もみんなで渡れば怖くない、なんてぇこたぁ~無くってね、怖いもんは怖いですよ。無理しない方がいい。あまり無理すると、後でトンデモナイところがぶっ壊れるというもんですな。

あとは、逃げ道、躱し道を探すのか、用意してあげるのか・・・ってな感じですかなぁ。チャンと逃げ道作って喧嘩するっていうのは、昔々の不良のわきまえでしたな。何分、人間臭い政治の世界・・・何処か似てますな。まさか、ビビっているヤツに先陣切らせる・・・ってな親分なのかなぁ?

ま、心棒が狂っている彫刻(彫塑)っていうのは、後修正が困難なんでねぇ・・・普通は粘土を全部外して心棒を作り直した方が手っ取り早いっ!てなもんです。造形の常識というのは、案外社会に適応させることが出来るモノなんだな。学校教育での図画工作や美術という教科が、果たして現状で良いのかと言えば、ダメでしょうな。でも、モノを作るという現場で起こるコト、そのノウハウってぇヤツは、結局社会を造り上げていくコトと同義なんだがなぁ・・・?

もう、五輪に関しては心棒を作り直す時間は・・・さすがにないかぁ・・・トホホ。

 

◆2021年7月3日(土)

――「反日的な人が五輪開催に強く反対」と安倍前首相が週刊誌での対談で発言――

これはもう、論外なんだが・・・以下に「日本書記」からの要約引用を示す。

 

仁徳天皇(西暦313年)は即位した後、家々から炊事の煙が立ち上らないことに不作による百姓の窮乏を案じた。そして今後三年間の課税をやめ、人民の苦しみを柔げようとされた。そして御衣や履物は破れるまで使用され、御食物は腐らなければ捨てられず、宮殿の垣はこわれ、屋根の茅がくずれても葺かず、志をつつまやかにして民の負担を減らされた。その後、五穀豊穣が続いて三年の間に人民は潤ってきて、徳をほめる声も起こった。天皇は高殿に登って炊煙の満ちているのを見るに、人民が富んでいることを喜んだ。(全現代語訳 日本書記 宇治谷孟 上 講談社学術文庫 p. 231~ 要約)

「天が人君を立てるのは、人民の為である。だから人民が根本である。それで古の聖王は、「一人でも人民に飢えや寒さに苦しむ者があれば、自分を責められた。人民が貧しいのは自分が貧しいのと同じである。人民が富んだならば自分が富んだことになる。人民が富んでいるのに、人君が貧しいということはないのである」と。

(全現代語訳 日本書記 宇治谷孟 上 講談社学術文庫 p. 232 引用)

課役免除から三年が経ち、宮殿はこわれて倉は空になる。人民は豊かになって道に落ちているものも拾わない程豊かになった。にもかかわらず、天皇は課役免除をお許しにならなかった。その後、はじめて課役を命ぜられて宮室を造られた。そして促されなくても人民は材を運び土籠を背負って宮殿が整えられた。(全現代語訳 日本書記 宇治谷孟 上 講談社学術文庫 p. 232 要約)

というワケである。ま、日本書紀の真偽については門外である。だが、今の現実はコレとはほど遠いですなぁ・・・果たして私達は進んでいるのか後退しているのか?

ま、国の先行きを案ずるからこそ、あなたの言うところの「反日・・・」になるのではなかろうか?心情を感じ取るコトが出来ないならば、ソロソロ潮時・・・とちゃいまっかぁ?

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アザミですなぁ・・・

下は一本でも、いろいろな表情ある花が咲くもんですな。