数日前から耳鳴りのように「キエフの大門」がこびり付いている。※ モデスト・ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」の終曲だが・・・ワガハイ的には「殻をつけたひなどりの踊り」の方が好きだけどねぇ・・・ナニせワガハイの感性はガキだからな。あのピョコピョコ楽しい感じが小学生の頃から変わらずに大好きだ。
「キエフの大門」って曲の名前を聞くと、どうしても西部警察の大門警部が思い出されるし、最近では失敗しない外科医のコトを思い出してしまう。ああ、渡哲也さんも旅立たれてしまったし、松方弘樹さんはいないし、ど~りでテレビがつまらなくなったワケだ。「キエフの大門警部」・・・あのキャラクターって、やっぱりゴルゴ13を意識しているんだろうなぁ。
しかし、西部警察ってぇドラマも、アホみたいに無茶なドラマだったねぇ。まあ、ワガハイ的には「あぶない刑事」の方が好きだったケドね。あのような無茶なストーリーとロケは、今では難しいんだろうなぁ。
「キエフの大門未知子」・・・私失敗しないので!って、なんじゃソレ?
もう、とにかくアホなコトを考えていないとウクライナのニュースは滅入ってくる。ワガハイが幾ら力んだところで、コトの解決にな~んの意味もないんだが、ウクライナの人たちが穏やかに毎日を過ごすコトに、大国がアレコレとチョッカイ出して欲しくないよなぁ。まあ、国際社会ってぇヤツも、コトはそんなに単純な話ではないというのは悪い大人の意識だからなぁ。
だが、大人だろうが子供だろうが、大国だろうが小国だろうが、コトは単純である。暖かいボルシチとピロシキを食う邪魔をするのは無粋というものだ。ミサイルや銃弾、戦車や戦闘機よりも、美味しい家庭料理を味わうべきだ。なんかねぇ・・・たぶん愛に溢れた暖かい食事っていうのに、プーチンさんとかお偉いさんは恵まれていないんじゃなかろうか?と、思ってしまう。
世界のお偉いさんたちに、どうか神の哀れみが与えられますように!と祈る。(キリスト教圏の方々だから、そちらの事情に合わせて祈ろう。祈られても屈辱的な意味合いが含まれる祈りだがなぁ・・・)
ラザール・ベルマン(1930ー2005)というピアニストも、その生没年から分かるように苦難の人生を歩んだ。レニングラード(サンクトペテルブルク)に生れてフィレンツェで没しているという点でも、多くを語らなくてもなんかいろいろあるよな、と感ずるだろう。オファーの多い西側への演奏旅行を妨害するソ連当局・・・ってぇヤツだ。ありがちだよなぁ。
ボディ感の強い演奏をする人だった。ちょっと聞けば・・・「ベルマンか?」と感ずる程だった。厚塗りの油彩画のような感触だな。或いはカスタードクリームが潤沢に使われたクリームパン・・・イチゴで本体が隠れる程のショートケーキ、そしてワガハイ的には杯が表面張力状態の山廃純米酒ってなモンだ。
だが、繰り返すがフルボディのピアニスト、ラザール・ベルマンは2005年2月6日に亡くなったが、フィレンツェの地(ミケランジェロやダ・ヴィンチが活躍し、キエフの姉妹都市だ)で亡くなったんだからなぁ。
別にアメリカが正義でもないし、ロシアも中国も、当然だが日本も正義ではない。だが、才能が流出し、またソレを怖れて妨害するというのがセットになってくる体制っていうのは、やっぱりオカシイ。その才能っていうのは芸術だけでなく、科学も同様なんでねぇ・・・というコトから日本もおかしなコトやっていると思うわなぁ。
昔から、人の振り見て我が振り直せ!って言ったもんだ。
だが、とにかく戦争は止めて暖かいボルシチとピロシキを落ち着いて食すべきだ。最高のウォッカも用意した方がいい。蓄財(国家予算)は戦車や飛行機の燃料に用いるべきではない。人間の胃袋に流し込むのがよろしいのではなかろうか?
お偉いさん達よ、美味いものを沢山食って、腹黒いものは便器に流してしまえば良いのだ。全くクソッタレ!である。
※ ラベルのボレロよりは楽である。