Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

ノヴゴロド州にはじまりビバリーヒルズに終わる人生・・・ラフマニノフから思うコト

f:id:Etsuro1:20220225085351j:plain

ホロヴィッツラフマニノフ・・・LPレコード

1873年生れのセルゲイ・ラフマニノフだが、その時ロシア帝国だったワケだからねぇ・・・ノヴゴロド州って言ってもすぐにはワカランが、サンクト・ペテルブルグから概ね南南東に向って180kmといったトコロだろうか。イリメニ湖というのがある近辺だ。その辺りの何処かが生誕地というコトらしい。

それで人生というのは紆余曲折は誰しものコトながら、この方は1943年3月28日に亡くなられた・・・ビバリーヒルズで!

ノヴゴロド州にはじまり、ビバリーヒルズに終わる人生。

なんかねぇ・・・大変だな。「祖国は門戸を閉ざしている・・・」というようなコトを語っていたと思ったが、それでも祖国の地への埋葬を願っていたらしい。戦時下だったからそれは実現せず、アメリカのどこかの墓地に埋葬された。オーソドクス(正教)だったから墓は八端十字だ。

 

ラフマニノフのレコードやCDを沢山所有しているワケではない。上画像のホロヴィッツのモノを含めて数枚程度だ。演奏様式というのも変化するし、それを楽譜解釈(研究成果)のあらわれとして、新しい演奏により良いモノを見いだすというコトもあるとは思うが、ワガハイはこのホロヴィッツの演奏は明快で聞きやすい、まるで良く出来た純米吟醸酒のように聞き疲れしないものだった。

だが、耳ざわりがヨカッタ結果としてレコードの盤面は擦り切れてしまった。酷いノイズにまみれてしまった。傷一つ無い盤面なんだがね。

まあ、ちょっと話が逸れるが、CBSソニーの廉価盤ってぇヤツは、割と擦り切れるのが早かったような気がする。キチンとしたターンテーブルとカートリッジ(DENON DL-103D 摩耗していないレコード針)で再生していたのだが。

 

チャイコフスキープロコフィエフムソルグスキーストラヴィンスキー、そしてこのラフマニノフと、ワガハイはロシア発祥その後流出的なものに好みが多い。

「ロシア的抒情」・・・19世紀末ロシア社会の錯綜した状況の影が、そういう言い方を生じさせたのかもしれない。動乱の中で生じた感性という面もあるんだろう。国家としては歴代全てど~も好きになれんのだが、その反動が生み出すエネルギーにワガハイは惹かれていたのかもしれない。やっぱり屈折した感情の表現なんだなぁ。

ではアメリカが好きなのか?と問われれば答えは、否!要するに大国ってぇヤツが好きではないんだな。でも、やっぱりジャズ、ブルース、昔のテネシー州ならば一度は行きたかったかな。ワガハイがまだ生れていない頃のテネシーだが(結局無理だな)

ま、今後もワガ人生、アメリカ大陸の地を踏むことはないだろう。ゆえにビバリーヒルズに終わるコトは完璧なまでにない。それどころかコロナ禍において、ナニかトラブれば何処かの病院のベッドの上で終わるというのも非現実的になってきたからなぁ・・・その分、自宅で終われるというコトを意味するというコトか?「畳の上で死にたい」って言い方は、昔はよく聞いたもんだ。勿論、これは明らかな失策に対する嫌味である。

 

では・・・我、亡骸は焼き尽くして灰にし、その灰をサザエの殻に詰めて何処かに埋めてほしい。骨など残しておいてもど~ってこたぁ、ないねぇ。骨壺に入れられて霊園の冷たいコンクリート製の箱の中に入れられてもねぇ・・・そんなコトに大袈裟な儀式を伴うエネルギーを費やすのは止めて欲しいもんだ。八端十字もケルト十字も必要ないし、日本風の墓石も必要ない。ど~見てもサザエの殻の方が造形的にも出来がイイだろう。

人間・・・旨酒よりイイものなんて造れているんだろうか?

本場韓国で食べたキムチは美味かったよねぇ。ありゃあ、い~もんだなぁ。

あ、本場フランスはノルマンディで食べたカマンベール・チーズも美味かった!

気付いたぞ!要するに発酵食品に金つぎ込んで、墓石なんぞに金つぎ込むもんじゃないな。

 

ワガハイのように祖国やら民族やらに思い入れがないと、ちょっと顰蹙かもしれないが、思い入れがあり過ぎるのも大切な物事の破壊に繋がるもんだ。ヨハネによる福音書の2章17節に〈弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。(新共同訳)〉ってぇ言葉があるよなぁ。

ま、祖国愛を語って群衆を煽動する場面に遭遇したら、その場から速やかに逃げるのが安全というものだ。大国として誇れるのは核弾頭の数っていうんじゃぁ、情けないわなぁ(セラーの中のロマネコンティの数を自慢する方が余程マシだ)。日本は美味いモノ大国を目指そうではないか!その資質は十分あるのだから。そもそも日本のルーツは寄せ集め的なんだろうし、大陸で生れた宗教も偏西風に乗っかって日本の地で吹きだまりとなったように見えるからな。

なにせキリストの墓は青森にあるっていう位だからなぁ・・・ある意味、日本っていうのは世界の博物館みたいなもんだわい。

ここは一度行ってみたいかな?でも、訪ねたところで「そこに私はいない・・・」っていう声が聞こえそうな気もするケドね。「じゃあ、何処にいるんですか?」と聞けば、「ホラ!すぐ後ろにいるじゃないか」って言われそうだ。そして「見えないのか?見開かれた人になりなさい」とも言われそうだな。

でもまあ、青森県っていうのも一回も行ったコトがないんで、行く機会に恵まれたなら新郷村に立ち寄ってみるのもアリだな。

新郷村|キリストの墓 (vill.shingo.aomori.jp)

 

ウクライナの人たちも日本に来ればよい!まあ、大変だがナントカなるだろう・・・ってな器の大きさっていうのも、日本が備えてほしいよなぁ。そういう大国になって欲しいよなぁ。和の国、寛容さの国ならば尚更、不可能ではない筈なんだよなぁ。植木等さんの「だまって俺について来い(1964年)」的な雰囲気って、今の日本には皆無だと思うが、こういう気分って欲するんだがなぁ。

日本に行けば、まあなんとかなる!コレって夢かなぁ。

 

ムソルグスキーアルコール依存症で、その世界に流出したんだなぁ。