Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

藤の開花もカウントダウンだな・・・置く場所探して咲いてもらおうか?

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我が家の藤はもうすぐ咲く 2021年3月31日撮影 

昨日は、結局午後になると日の光が怪しさを増して、遠景が大いに霞んでしまった。それほどYかぶり(黄味に寄った発色の意)な霞ではなかったが黄砂だろう。実に不快な空気であった。さらには通りがかりのお気に入りパン屋さんは売り切れでサッサと店じまいしていた。夕方行ったのだから仕方ないとはいえ、大抵はパンドミーぐらいは一本買えるものなのだが・・・だいぶ人気が出てきてしまったようだ。

以上、己にとって不都合な出来事であったが、それもまた何らかの幸いであろう・・・ということにしておこう。

 

さて、このところ藤の画像を出しているが、一日で相当に植物が動くことが分かる。改めて撮影するとより分かりやすく確認することが出来る。そういう点で、撮影するというのは、ただ見るということ・・・記憶をたどって検証するということ以上に比較がしやすくなる。スケッチでもいいのだが、より証拠としては補強されたものになる・・・はずだったんだが、最近の画像の使われ方は、そうした考え方も単なる習慣に過ぎなかったことを証明し始めているようにも思える。デジタルは補正も書き換えや置き換えも容易だからな。でも、まあ・・・そこまで神経質になる必要はないという「藤」のラフな記録だ。

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寄りましたな

一つ一つの花芽を拡大して見ると、これまたいい色なのだ。咲き誇った藤も見事だが、その準備過程もまた美しいではあ~りませんか!我が家の藤は数日前に経緯を書いた通りプランター植えなので、当たり前だがプランターという条件(場)で咲くしかない。植物は動けないので・・・というのはウソで、動きます!が、一応、動物のようには動けないので「置かれた場所で咲く」ことにはなる。だがしかし!ワガハイの場合はプランター植えなので、「置く場所で咲く」ことが可能であるな。ということでここ数日、置き場所や置き方を考えて、実に楽しい悩みを抱えておる。

先ず解決すべきことは、置き場所の高さだ。プランターを直置きしている状態では花の位置が低すぎる。ゆえにベストアングルは地面に寝転がって見ることになる。これではチト辛い。そして鑑賞のためには光の入り方、風の吹きこみ方、背景といった条件を考えなくてはならない。が、そんなに欲張れない庭である。せめて高さは解決しよう。腰痛注意でブロックを積んで、その上にプランターを置くのが手っ取り早い。そして無粋なところは見なかったことにしておこう。人様に鑑賞してもらう目的ではないからな。そして、狭い庭のどの位置で満開を迎えてもらいますかな。そろそろ決断しないと間に合わないので、今日中には方針を決めようと思いますな。

「置かれた場所で咲きなさい」という言い方もあるが、「置く場所考えて咲いてもらう」っていうのもあるわな!そこにワガハイという視点が入るんですな。客観ばかりが能じゃないですな。主観突破 ⁈

 

さあ、今季の藤はどこで咲いてもらいますかな。カートに藤を載せて・・・満開の藤と共に散歩をするというのもいいかもしれないねぇ・・・

 

※「置かれた場所で咲きなさい 渡辺和子著」のことだな。ワガハイは別に宣伝している訳ではない。内容的に誤解を生じかねないと危惧することもあるからな。コード不在で読解するにはチョット如何なものか?と思うんですな。