Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

平塚市博物館の屋外にて「D52 403」を見る

昨日のブログの終盤で書いた通り、今日は平塚市博物館のある公園内に展示されているD52 について。

D52 403

蒸気機関車を撮影するために平塚市博物館へ行ったワケではないんだが、行けば見るでしょ、D52!

で、どうせ黒い車体だってコトは分かっているんだから、撮影目的ならば逆行になる午後の4時過ぎに行かないワなぁ。つまり、ついでのD52ではある。それに博物館の展示が面白かったので思いのほか長く居たからなぁ。

実は、腰痛は相変わらず微妙に残っていて、なかなかスッキリとしない中での博物館の観覧っていうのは、案外腰にくる。だからヘコへコ歩きながらヘロヘロ撮影するという、情けない姿を晒していたと思う。ただ、SLを撮っている懐古趣味のカメラ好き老人一名という状況を注視する人なんていないだろう。醜態を晒そうとど~~ってコたぁ、ないワなぁ。

斜めからの図

クダラナイことを書いている余裕はない。本日は画像多め。

夕方の光の中で撮影はやり辛いけれど綺麗だよなぁ

展示状況は、以前書いたD51  1119よりもイイ感じ。

etsuro1.hatenablog.com

つまり、森の里の若宮公園と比べて、コッチ(平塚)の方が状態が良さげに見えるのは、やっぱり草刈りかなぁ。それに平塚市の中心部に位置して人通りも多いところに置かれたD52 403の方が、D51 1119よりも幸せそうに見える。

逆光なんで辛いねぇ・・・薄曇りの日の方が楽だな

かつて御殿場線で走っていたというコトで、ワガハイが子供の頃に国府津駅で見ていたヤツかもしれない。それは現役バリバリの姿だったから、もっと煤けていて発熱しているし、油や石炭独特の臭いもあった。そして蒸気が漂っていたし、近寄りがたい雰囲気があった。子供が近づくと邪魔で危険、ってな感じだった。

御殿場線が電化されてSLが走らなくなり、国府津駅の1番線ホーム二宮寄りのトコロから国府津機関区のターンテーブルとか車庫が見えて、そこに置かれたD52が一台、また一台と姿を消していき、暫く残された一台もなくなっていく過程を見ていたなぁ。

ここはチョット植込みが高いなぁ

でもさぁ、D51の記憶とD52を比べると・・・展示が離れているから、並べないとワカラン!

運転台には「昭20・日立」とか「浜松工場」といったプレートがあった

SLのナニが魅力かって、そりゃ人それぞれだが、なんかワガハイ的には手作り感が残る形態がイイと、最近は思うようになった。それは使い込んだ結果もあるかもしれないが、微妙に鉄板が歪んでいたり、なんとなく直角の精度がど~なんだろう?って思ったりするトコロが面白い。

酷使し、補修を繰り返した美しさなのかもしれないけれど。

もっとも当時は、そんなコトに美しさを感じているワケもなく、限られた時間内で必要な整備を積み上げていたんだろう。

説明板があった

D52型403号蒸気機関車について

 この機関車は、昭和43年6月末日まで勾配の多い御殿場線で客貨
両用として活躍をしておりましたが、昭和43年7月1日に同線が電
化されたのでその任務が終わり使用休止、廃車、さらにスクラップ化
が計られておりました。これを憂い、市内のSLファンや市民の方々、
国鉄OBの方々の機関車保存への熱意が実り、昭和44年11月30日国
府津機関区の区長から平塚市長へのメッセージとともに市民の憩い
の場である平塚市文化センターに移されたのであります。
 D52型蒸気機関車は、昭和18年に戦時設計で計画され戦時中の資
材の乏しいときに木材や、コンクリートの塊をつかってつくられた
国鉄最大の機関車です。
 この機関車は、昭和20年3月18日に生まれ昭和43年6月末日まで
に走ったキロ数は、1,100,097.7キロメートルでその距離は、地球を
約27.5周したことになります。

平塚市

※ルビ省略

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D52型蒸気機関車の諸元表
機 関 車      D52型過熱テンダ機関車
機関車番号      D52403
車   種      IDI過熱テンダ機関車
製 造 所      日立製作所笠戸工場
製造年月日      昭和20年3月18日
       改 装 昭和27年5月10日
長   さ       21.105ミリメートル
  幅          2.914ミリメートル
高   さ        3.987ミリメートル
燃料積載量  石 炭 10.0トン
水 槽 容 量    水  22.0トン
機関車重量   積  85.13トン
        空  74.42トン
炭水車重量   積  57.35トン
        空  20.14トン

車 輪 直 径 動   輪 1,400ミリメートル
        先   輪 860ミリメートル
        従   輪 860ミリメートル
        炭水車々輪 860ミリメートル

流石、博物館の屋外展示といった趣の説明板は、つまり標本に貼られたラベルのようだ。だが、〈市内のSLファンや市民の方々、国鉄OBの方々の機関車保存への熱意が実り〉というトコロが気になる。なぜならこの機関車は御殿場線を走っていたワケで、国府津機関区は小田原市なんである。なぜ、小田原市内のSLファンや市民の方々の熱意によって、小田原市内の何処かに展示保存されなかったのか?或いはそういった話もあったのだろうか?

まあ、小田原にとってはSLよりも小田原城なんだろう。SL保存についてはあまり盛り上がらなかったのかもしれない。だが、結果的にこの保存状態を見ると、平塚で正解だったと思う。

それから〈国府津機関区の区長から平塚市長へのメッセージ〉って、どんな内容だったんだろう?チョット読んでみたい気もする。加えて諸元表の〈改装 昭和27年5月10日〉というのは、どの様な改装が行われたんだろう?機械的な部分にも手が入れられたんだろうか?そういったコトが気になると言えば気になるけれど・・・まあ、例によって頑張って調べるまでの熱意はない。

とにかく、この公園のシンボルであり、王者とも言える貫禄を示すD52 403だった。

 

博物館によると、外観は常時見学できますよ・・・と。だが、近くで見たいならば博物館受付まで言ってね!その際「博物館資料特別利用承認申請書」の記入をしてちょ~だいね!というコトらしい。確か16時30分が受付締切だったと思う。

今度、時間的に余裕のある時に「博物館資料特別利用承認申請書」に記入してみよう。

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