昨日の予告通りに続きですぅ~~っ。
しかも、出縄酒造のコトだ。
昨日のブログをアップしてから、ど~も出縄酒造のコトが気になり始めた。それで調べたトコロでその酒が呑めるワケでもないのに、気になってしまった。ナニが気になったかというと、蔵の立地だ。
いったい平塚の何処に、日本酒蔵としての適地があるというんだろう?特別、水が旨いという評判及び印象の薄い、ごく普通の水環境のように感じている平塚市内なんである。
まあ、相模川や金目川の伏流水という点では水の恵みはあるだろう。そんな条件からも、工業用水に事欠かなかったから、多くの工場が立地しているのだろう。今でも中心街から外れれば水田が広がるからねぇ。
で、出縄酒造は万田というトコロにあったらしい。それは平塚駅界隈ではなく、むしろ大磯寄りの地域であり、金目川寄りであり、「湘南平(高麗山公園)」というテレビ鉄塔の建っている山の北斜面側の裾の地区になる。
関東平野の際に位置する万田という場所である。
昨日も書いたが、その万田に隣接した山側に「出縄」という地名があるので、どうして万田にあるのに出縄酒造なのか?という疑問は解決しないけれど、要するに蔵のあった場所は現在、その痕跡は全く残っていない感じがする。現地調査(大袈裟な言い方だが)をしたワケではなく、グーグルの画像情報でのコトだけど。
ん~~~、現地に行けば、酒造用水の井戸ぐらいは残っているんだろうか?(その辺は少し興味があるけれど。そして可能ならば、その水でお茶など呑んでみたいモンだが。)
とにかく、場所は「湘南平(高麗山公園)」に上る道の、上り始め界隈のトコロであった。そしてもう少し詳細を詰めていくと、「万田滝坂公園」とか「万田南公園」といった小さな公園の界隈と推定された。Hatena Blog内では、以下のリンク先に興味深い記述があったコトも参考になった。
「出縄酒造前」・・・言われれば、そんなバス停もあったなぁ。昔、平塚駅からバスに乗って湘南平まで行った時に、そんな車内放送が流れたような記憶がよみがえってきた。
そして以下リンク先に〈上万田には「オオジンサン」と呼ぶ神社が出縄酒造の側にあり、祭礼は10月9日であった。男たちが神社の前にむしろを敷いて、神主を呼び祝詞を上げて煮しめで酒を飲む〉という記述を見つけた。eda.mydns.jp
「オオジンサン」というのが、チョット分からないんだが、たぶん「相武国造神社」のコトではないか?と、ワガハイは推測した。この「オオジンサン」というのが、ネット検索ではこの頁しかヒットしなかったので、ひょっとするとコレ、もう通用しなくなった呼び名なんだろうか?
ワガハイ、この領域の専門家じゃないからねぇ。
「相武国造」っていうのは、「さがむのくにのみやつこ」とか「さがむこくぞう」と読むみたいだ。ソウブ・・・じゃないんだな。知らなきゃソウブって読むだろう。ま、それはともかくとして、大昔に相模国東部を支配した国造らしい。だから日本武尊の東征に関して火攻めに遭った件に関して、この国造が火攻めしたという話もあると・・・まあ、こりゃあ古事記だな。
ナニヤラいきなり凄いコトになってくる場にあった出縄酒造みたいだ。
さて・・・
平塚市博物館は、平塚市中央図書館、平塚市青少年会館、教育会館といった施設の建つ公園内にある。そして道を挟んで平塚市美術館がある。市役所の北側に位置するワケだ。
で、その公園内にはD52が展示されていて(コレは明日のブログネタだな)、野外彫刻が置かれている。その彫刻作品の銘板が、上画像のような感じで読めなくなっている。
コレの管理って、博物館?美術館?それとも平塚市の公園関連の部署?
著作権が絡むと面倒なので、作品本体の画像は載せないけれど、コレ、作者は文句言った方がいいぞ!読めるのは「森の住人」だけだ。
いやまて?コレは銘板ではなく、ここに「森の住人」という風化する文字が刻まれたモノを置くという表現なんだろうか?ならば、それはソレとして面白いかもしれないが。
次回に続く。
●補足(2023/10/23 18:30)
昨日のブログ末尾に、「海軍火薬廠」の解説がある横浜ゴム(株)のリンクを追加した。