Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

「諏訪大社春宮 千尋池」の画像を見ながらブツブツ・・・

諏訪大社春宮 千尋

誰が作ったか鶴三羽・・・

水を噴出し続けるのは父?

その手前に図鑑的なフォルムが母?

そして水面を覗き込むのが子供?

そういうコトなんだろうか?

噴水なんだろうが、その水の様子は光線の加減で撮り辛かった。撮影のコトを考慮して作り込まれているワケでもないと思うので、別に問題ない。

インスタ映えの為に造作を作り込まれても、それはわざとらしくて嫌気がさすものだ。そういう反応を起こすのは老人だからなのかもしれないが。そして誰かが撮ってフォトスポットになって、多くの人が一カ所に集中してしまうのも、な~んか・・・ねぇ?

ま、富士吉田の件だったか、ローソンと富士山の取り合わせは・・・そういうのがウケる方々にとっては面白いのだろう。だが、ワガハイはちっとも面白くない。同調性に乏しいと思われるかもしれないが、それがつまらない、という人がいたっていいだろう。

 

人は昔から素敵な写真を見ると、それを自分でも撮ってみたいと思う。自動化が進むカメラだけに、ある人が撮影出来たならば私にも撮れると思うのだろう。

写真にはシャッターチャンスがあるのにねぇ・・・技量だけではなく。

相当に失敗なく撮影出来るようになった昨今のデジカメ、スマホでも、撮影者の影響は無視出来ない。撮影者が違えば写真が変わる。勿論、機材が変われば写真は変わるけれど。

というワケなのか、好きな写真家の機材を真似、話題の機材ならばもっと思い通りに撮れるのではないか?と、機材を頻繁に売り買いする。それは前提が違うだろう。

どんな高性能なクルマを手に入れても、乗り手以上に上手く走らせるコトなんて出来ないだろうに。

 

そもそも、目で見た通りに撮れるものではない。そんなのカメラと眼球では構造が似て非なるモノ。そして視覚は脳が処理したものだというコトも、フィルムなり撮像素子なりの平面素子への結像と同じになる筈がない。

眼球は黄斑部の解像度で視覚しているしねぇ。

 

視覚との差異を利用して、ナニを撮るか?だろう。

その差異を利用して、記録するモノゴトを際立たせるのだろう。

 

肉眼的な視覚と、カメラのイメージが一致したなら、それはむしろ不思議な出来事だ。

あまり自分のイメージを画像に追わせない方がイイ。むしろカメラにナニを見せるか?という意識を持って、カメラとともに風景の中に佇むのも良いのでは?

以上・・・「どうしたらこんな写真が撮れるんですか?」と質問された人に、ワガハイが僭越ながら話した内容だ。昔々のコトになってしまったけど。

あの頃はまだ、NikonがF-4を売っていた時代だ。

 

 

昨日まで数回に分けて書いた木曽福島と桔梗ヶ原、そして諏訪大社の買い出しドライブのネタも、本日で終わり。と言っても、本日はそのコトについてど~のこ~の、の話しにはならない。ただ上の画像だけが諏訪というに過ぎない、か。

etsuro1.hatenablog.com

上画像は「千尋池」という名前の池だそうだ。今まで何回も諏訪大社に行っているのに、まともに名前を確認したコトがなかった。

つまり、塩羊羹を買うのに思いが先走り、他のものが目に入らなかったのだな。ココロの余裕というのが無かった。そして買ってしまえば帰宅して羊羹を楽しむのみ。目的と結果は直結しているのだ。

で、今回はなぜか・・・ココロの余裕が出来たのか?はたまた単に老齢によって体力が落ちただけか?理由は両方かもしれないが「千尋池」に足を止めた。

〈池の底は遠く遠州浜松の近くの海に続くと言われ・・・〉と、諏訪大社のHPには説明がある。 以下リンク先の「諏訪大社 下社秋宮の見どころ」の境内図にある「千尋池」をクリックすると説明が出る。

諏訪大社下社秋宮 - 信濃國一之宮 諏訪大社

興味のある方はどうぞ!

 

ま、上の例のように肉眼は肉体のセンサーだけに、自分の都合、ココロの欲求に忠実だ。意図しないものは排除されるコトがある。そういうふうに見落とすのだ。

だからねぇ・・・前方不注意ってぇのが起こり得るのだ。

だが・・・完全に見切れるモンでもないとも思うのが人間という動物の視覚じゃないだろうか。

カメラ(写真)は物理的に写してしまう。それでストゥディウムやらプンクトゥムなんてコトになってくるだろうが(ロラン・バルトのコトね)。

 

まあまあ、都合のよいモノゴトばかり撮れないのが写真。そして不都合としか思えないコトが福音ってなモンだ。そのアタリをアタマの片隅に置きながらダイアン・アーバスを鑑賞すれば、スーザン・ソンタグの「写真論」の示すコトも、そんなに難解ではないと思うのだが。

カメラを持ち歩くのではく、カメラと共に歩くような感覚・・・そして己の気付かないモノゴトを記録してくれる装置。新しい福音装置を手にした人類は、再びデジタル化によってナニがなんだか分からない混迷の事態に陥ったな。

 

ところで凄いコトになっているよねぇ・・・東京都知事選!いったい何人が立候補したのだろう。もう誰がダレだかワカラン!こうなったら都民全員が立候補してしまえばよい。そうなると、ど~なるんだろうねぇ。全員が自分に投票して終わり。

選挙制度の終焉。

なんか、立候補の意図もそれぞれだろうが、な~んかあまりにも怪しい気配が漂うんだよなぁ。2強と思われる候補も民主主義の表面を装っているだけに見えるけれど。

ワガハイは神奈川県民だからねぇ・・・。

 

※ そりゃ、諏訪湖から流れ出すのは天竜川だからねぇ。