老人の昔話で恐縮だが、国会で馬鹿野郎!と言った男がいた。それでワガハイは非常に子供であったけれど、真似して「馬鹿野郎!」を連発した。その意味も大して分かってはいなかった頃だけど、非常に叱られた。
子供ながらに、大人になれば「馬鹿野郎!」と言ってもいいのかもしれない・・・偉くなればいいのかもしれない?と思ったりした。それは非常に祖父から窘められた。だが、祖父も困惑はしていたと思う。
そして、ワガハイが小学校高学年に達した頃でも、祖父はその時のコトを思い出してこう言った。
国会議員の姿は子供の教育に良くない!
国会中継は、子供に見せない方が良い。醜い大人たちの醜いコトバの応酬を見るのだ。そんな刷り込みが何処かにのこっているのだろうか・・・今でも政治家や官僚ってぇのは、違法スレスレの悪い輩の集団だと嫌悪している。
だから、派閥を止めたって別のカタチで徒党を組めば良いのだし、ならばいっその事、ナニナニ派なんて言わないで、ナントカ組という呼称にすれば良い。まあまあ、きな臭い連中が集まれば反社会勢力と似たようなもんだ。一応、法律に照らし合わせているかどうかの違いだけだ。
もっとも、それとは対照的な組織にも、内部的には掟があるのだろうが。
いずれにせよ、人間という動物の最も臭い局面が表出する現場だからねぇ。観方を替えれば人間の獰猛さが最も顕著となる部分だろう。
それで高校の時の後輩が、「俺は政治家になる!」などと突然言い出して、その通りになったんだが・・・やっぱり怪しいヤツだったからなぁ。その人間性の本体を見てしまっているから、ワガハイは投票しなかった。
或いは、やはり別の後輩が地方選挙に出馬した。ワガハイ的には彼のお姉さんの方が圧倒的に優秀(人間味溢れる)だと思っていたから、彼には投票しなかった。勿論、そのお姉さんが出馬したなら一票入れただろう。
やっぱりねぇ、人として優しいというのは、どこか政治家の適性に欠いているのかもしれない。適当に鈍らでなければ、マスコミのアレコレにも耐えられないだろう。そうした感受性の鈍さこそ、太々しさもなければ・・・まして首相なんぞやってられないだろう。でも岸田さん・・・頭髪は薄くなってきたように思うケド。
だから、能登半島地震への対策批判もナンのその!ワガハイの眼には派閥・裏金問題への作戦会議の方が熱を帯びているように映る。それは報道の姿勢によって増幅されているのかもしれないが・・・いやいや、増幅されるナニかがあるから増幅されるのだ。
1月24日午前の衆院予算委員会では、石川3区(被災地)が地盤の近藤和也議員(立憲)が岸田首相の答弁に対して「酷な言葉ですよ」と言ったとか。
まあ・・・コレが東京罹災だったら、こんな言葉は出ないんだろう。
いや・・・出るかもしれない。
ところで国会議員は、国民の代表のはず。だが彼らの心理って国民を騙して票を勝ち取り、猿山の大将を目指して頑張るだけというのが本性に見える。見かけは民主主義を装っているが、内実は彼の国の連中と大差ない。そして何処かで独裁に憧れを持っているのではないか?と疑う。
その点、野党議員の方が国民の代表のような感じに、幾らかは見えるような気もする。その実態はフェイクなんだろうが。
そして老人になってもあの言葉はリアリティを持って脳内に響く・・・
国会議員の姿は子供の教育に良くない!
まあ、どこの国も・・・似たり寄ったりのせめぎ合いをやる場が議会というコトで、野蛮な輩の巣窟になるのは人間という動物の習性が露骨に表出する現場であると・・・そ~ゆ~コトなんだろう。国会中継はR15指定位にはした方がいいかも、しれないかなぁ?
もっとも民主主義って道も、まだまだ道半ばの力技。人間という動物の本能に対して拮抗するトコロがあるからねぇ。