毎日いろいろなニュースに接して、不思議に思ったり呆れたりする。備忘録として書き留めておこうと思う。
●其の1
札幌でジムニーのタイヤが外れて、4歳?の女の子にぶつかって意識不明の重体だという。女の子の快復を切に願う。
僅かなニュース映像を見る限り、これは不適切な改造にあたる。オーバーフェンダーに太いタイヤ、おそらくリフトアップもやっているだろう。
リフトアップ(最低地上高を上げて悪路走破性を向上させる)には、車検対応の部品もあるかと思う。まあ、ワガハイもジムニーやランクルに乗っていたコトがあるから、そうした部品があるコトは知っていた。果たして今でもそうした部品が流通しているのかは知らんが。
で、そうした改造を行っての市街地走行は、決して快適ではないし、操縦安定性はノーマルよりも悪くなってしまう。つまり極めて自虐的な改造だと思う。別に競技を行う車両ではないだろうし、ソモソモ競技で勝を狙うならば公道走行は諦める改造をすべきだ。
だが、ほとんどのこうした改造の目的はドレスアップだろう。それがカッコいいかどうかは個人の趣味だが、ワガハイ的にはバカらしく見える。だからワガハイはこうした改造はしないで乗っていた。ただ、ノーマルのフェンダーに収まる範囲で、トレッドを広くする程度だ。
過剰に大きなタイヤを付けると、だいたい外乱に弱くなる。故に直進安定性が悪くなり、悪路においても決して走破性は上がるとは限らない。全てはバランスの問題なのだ。
この事故についてはホイールの締め付けトルクが適切だったか?というのが先ずは疑念として上がるが、巨大なタイヤからのストレスでボルトが折れるとか、ハブやらベアリングからやられてしまったとか、そういうコトも無いとは言えないだろう。まして左フロントが外れているってぇのが・・・まあまあストレスがかかる車輪だからなぁ。
あと・・・雪国は融雪剤で金属が痛むからねぇ。我がエリアは海からの塩害があるけど。
クルマをイジルことによるリスクが分からない者は、とにかくノーマルのまま乗る!メーカーがテストを繰り返した完成度を持った製品なのだから。
公道での自己主張など、それを見て評価する人など圧倒的少数だ。つまり誰も注目してはいない。自己満足は勝手だが、この件について自己責任はとれるのだろうか?違法改造はご法度だ。こうした事故によって警察の取締りが強化されるかもしれないが、それはやってもらった方がいいだろうな。
●其の2
今度は宝塚歌劇団かぁ・・・
この件は言及も多いだろう。ワガハイ的には手短に書いておきたい。なんか、ジャニーズ問題の件でも亡くなってしまった方がおられるとか。月並みな一言だが、ご冥福をお祈りいたします。
こうした組織内での問題は、昔から様々なところで続いていた。そして自殺者だって出ていた。大企業という組織は、これまでに一体どれだけの死体を積み上げてきたのだろうか?それでも適当なところで幕引きをはかり続け、ナントカやってきた。だが、遂にそうは問屋が卸さない時代になってきた。
ひとりの人間の死は、巨大組織だって崩壊させてしまうかもしれない。そしてそれはイイ方向への変化があるとワガハイは思う。ここに来て、パラダイムの変化が目に見えてきたように感ずる。
ただ、命を差し出して変革を訴える・・・っていうのでは、直訴はご法度!ってなヤツだ。カタチは変われど、個人の死によって動かないよりは動くべきだとは思うが、な~んか直訴の時代と大差ないような気も、しないでもない。
命は神から与えられたものであり、国や組織から与えられたものではない・・・んだけど、ってな世界観は、言っても通用しないのだろうか?
教会史を紐解けば・・・教会でも通用していない事例はあるワなぁ。
究極としては、個人を守るために国家が滅びるのは、例えとしてはある意味正しいんである!それはまあ・・・理想論過ぎるケドねぇ。
〈日本書紀では垂仁天皇の時、倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなり、橿原市の築坂※に葬った。その陵の周りに近習の者を生きたまま埋めた。日を経ても死なず、昼夜泣きうめき、遂には死んで腐っていった。それを犬や鳥が集まって食べた。天皇はこの泣きうめく声を聞かれて心痛めた。そしてこの古の風であっても良くないことは従わなくてもよい。これからは殉死をやめるように、と言われた。それで埴輪になった。〉
まあ、適当に要約した埴輪の由縁である。なぜかこのコトが思い出された。いじめ、ハラスメントが収まらないのが人間という動物の習性ならば、なにか埴輪のようなものを考え出さねばならないだろう。
※ 築坂 ・・・橿原市鳥屋町付近
埴輪については、日本書紀を読まれたし!以下リンク先も分かりやすい。
気になるニュースはまだまだあるのだが、とりあえずここまでとする。2000字程度に止めておこう。