「たった一枚の画像を思い出し、空き時間に過去データを探している。そして肝心の画像はまだ発見に至ってない」と、上リンク先で書いた。それで問題の一枚の画像はまだ見つかってない。
そんなに熱心に探しているワケではないけれど・・・探し物中にありがちなのは、昔読んだ雑誌など見つけて読みだしてしまったり・・・といった経験があるように、それはデータでも起こる。そして懐かしく思ったりして暫くの間ながめてしまい、捜索の能率を悪化させ、時に本題を忘れ、疲れて作業を中断してしまう。
こういう作業って、中断すると再開しない。お茶など飲み、あるいはコーヒーなどドリップしてしまったり。すると今度は、別のコトを始めるべき時間になったコトに気付いたりする。
そういった脱線で見つけたのが、上画像だ。
「これ・・・何処だ?」
気になったコトは特定するのが一番の解決方法だから・・・無駄と思いつつストリートビューなどで心当たりを探ってみるが、分からない。たぶん、山並みからすると小田原市北部地域の何処か?だと思うのだが。
このように、ナニかすると気になるコトが出てくる。それはさもないコトで、別に追及しなければ死活問題につながるワケでもないから放置してかまわないのだが・・・脳内の気になるリストに暫くは常駐する。
コレって、ボケ防止に効果があるのだろうか?或いはど~でも良いコトに固執するのに近いコトにも思われ、かえってボケを進めてしまうのだろうか?
ストレスとして強く感じてしまうならば、い~ワケないなぁ。だが、このところ書いている名称不明のキノコや昆虫などは、そもそもマクロレンズを購入したことで起きたのだ。
マクロレンズ、面白いねぇ・・・無意味にいろいろ見たり撮ったりしたくなる。そうして今まで撮らなかったモノや見なかったモノを知ることになる。
だが、分からないと落ち着かない。分からないままにしておいてはいけない、という教育的刷り込みがあるからだろうか?
「間違ったところは、分からないままにしておかない!」
テストが終われば、そ~ゆ~コトを大人から言われた。ごもっともでございます。だが、ナニか小さな前提が覆されれば、ど~せ必死になって理解したコトもひっくり返るんだろう・・・と。「あまり詳細を突き詰めても仕方ね~んじゃね?」と、返答していたなぁ。
あの頃、Aiという言葉はなかったと思うけれど、人工知能とは言われていた。ワガハイが大人になる頃には、な~んもしなくても全部ロボットがやってくれる時代になるんじゃね?と、思っていた。小学校の頃だけど・・・1970年大阪万博って、そういう風に未来を予感したけれど。
その予感は、思ったほど早くは実現しなかった。
ワガハイの人生において、ほとんど意味をなさなかった勉強は微積分とかねぇ・・・これ、考え方は面白かったけれど、ぜ~んぜん使わないから忘れた。
この間、ふと筆算で割り算が出来るだろうか?と不安になった。それでいきなり5桁とかの割り算をやってみた。電卓で検算してみたトコロ・・・合ってた!所々「え~と、どうやるんだっけ?理屈的にはこ~~だから、こ~ゆ~塩梅だべな?」ってな感じだったから、少々時間は要した。でも間違えなかった。
ワガハイ、暗算とか嫌いだからねぇ。
ま、とにかくまだ、割り算は出来る。昔取った杵柄は通用している。
だが突然・・・二次方程式の解の公式を思い出した。xいこーる2aブンのナンチャラってぇヤツだ。
で・・・これ、ど~~やって使うんだっけ??
コレも、使わね~人生だったなぁ。寿限無・・・みたいに音として記憶はしているけれど。
いや・・・一応、現役の時はまあまあイイ点数だったけど。コレ、昔取った杵柄は全く通用しない。