伝え聞いた戦争の話は、ナニかの切っ掛けで思い出す。普通に暮らしている中で、急に聞いたコトを話せ、と言われてもどこから話したらイイのか戸惑う。やっぱり、なにか思い出のモノに繋がって思い出してくることが多いように思う。
我が家のメダカを飼っている火鉢も、ホントウに子供の頃の祖父母の思い出が詰まっている。この火鉢を囲んで様々な話を聞いた。
昨日、ふとNHKのサイトから以下のリンクのような記事を見つけて読んでみた。
仙台空襲では「竪穴式」の防空壕では命を守れなかった、という話だ。横浜空襲での祖父母の家にあった防空壕も「竪穴式」であり、だから・・・
そしていよいよ横浜空襲本番を迎える。ご近所の方たちとその防空壕に避難していたらしいが、ナントカのオヤジさんが「この防空壕じゃもたない・・・逃げよう!」というコトを言い出し、皆で逃げた・・・らしい。(2023/06/05 当ブログより)
そういうコトになる。その防空壕は誰が作ったものか・・・それは祖父から聞いた気がするのだが忘れた。だが、祖父が作ったはずはない。なぜなら祖父はモノづくりが苦手だったから。文字を書くのは上手だったけれど、工作はダメだったなぁ。
だが、やはり焼け跡では庭の防空壕は跡形も無かったと、祖父から聞いた。そこに遺体はひとつも無かったから、何処かに逃げていると祖父は思ったらしい。
しかし・・・こうしてNHKの記事を読んでいると、とうとう戦中の様子を紐解くには考古学のようなコトになってきたのだ、と感じた。直接体験した人は存命していなくても、ワガハイのように伝え聞いた人も案外少ないのかもしれない。
恐怖体験は語りたがらない、ということだろうか。
我が父親も、一通りのありがちな戦争話しはしたものの、突っ込んだ質問にはなかなか答えなかった。苦難の記憶は墓に持っていくという雰囲気が感じられた。
NHKの記事では、「横穴式」の防空壕では助かったが、「竪穴式」では多くの人が亡くなったと書かれていた。ま・・・構造と強度を考えれば、いや、考えるまでもなく、そうなるだろう。だが、横穴式は崖がなければ作れないから場所に制約がある。
ワガハイが子供の頃に遊んでいた野原には崖があって、そこに横穴式の防空壕跡が残っていた。危険だから絶対に立ち入らないようにと、親からも学校からも言われていたけれど。まあ・・・立ち入りはしないけれど、中を覗き込んでいたら畑仕事をしていた人に注意されたなぁ。
気持ち悪いから入らないわなぁ・・・なんか、変な虫とか出てきそうだったし。
だが、以下リンク先で書いた「掩体壕」は、鉄筋コンクリート製の強固な作りだったらしい。戦闘機を保管するワケだから、DIYの防空壕とは出来がソモソモ違うだろうが。
そういう構造体のものでさえ耐えられない爆撃だったわけだから。もっとも、横浜や東京の空襲は焼夷弾だが、土浦の爆撃は焼夷弾ではなかったのかもしれないけれど。軍施設だからな。もっと徹底的に叩く爆撃だったのだろう。
とにかく、国や行政は時々一般市民を欺くことがある。ナニか対策をしておけば、安全対策を講じたようなフリが出来る。
例えば、悪徳業者が家の土台に意味のない金物を大量に付けて法外な金額を請求した、みたいなコトが問題になった。それは極端としても、大して効果がなさそうな耐震補強を講じて規定通りの処置を施したとし、OKにしているものもあるような気がする。
某キリスト教の教会建築のトラス構造に、ど~考えても効いてない金物補強(耐震補強)がされてOKになっているからなぁ・・・そういうのもあった。
まあ、建築物だけではないが、ナニか与えておけば国民感情は一時的に収まる・・・的な考え方は、未だにあるんじゃな~い⤴
教会聖堂って、古くはノアの方舟の意味も持つ(最近はそんなコトもないけれど)。ある意味、防空壕である。だが、いざという時には入ってはならぬ!ありゃあ、潰れるな。それに意匠優先で作っている疑いがあるモノもあるから。
もっとも、聖堂に潰されても本望であるという信心を持たれている方は・・・ど~にもならん。