Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

下榎戸原古墳・・・神奈川県平塚市

昨日の続き、下榎戸原古墳である。

説明板があった

この説明板がなければ空地でしかない。もっとも、この説明板の前に立ち、フェンス越しに覗いている人というのも稀だろう。この説明板が壊れて無くなっていたとしたら単なる不審人物でしかなくなる。

昨今はナニカと怪しい事件が勃発しているだけに、案外ココでのワガハイの行動が通報されずに済むのは、この看板のおかげなのかもしれない。そんなコトを思ったりする。

まあ、人通りはないし、たぶん監視カメラのようなモノも見当たらないように思う。ワガハイがここに居る僅かな間には、ランドクルーザープラドが一台通過しただけだった。何処かへ抜けていく裏道とも思えない場所だからなぁ。

道幅はソコソコあるので路肩にクルマを停めて、少々の古代ロマンに浸る時間を過ごした。

ココは歩いて行くには大変だねぇ・・・このような細かい遺跡などを巡るには、原付バイクが便利なんだけどねぇ。

 

さて、お久しぶりに説明板を書き写すことにする。画像では読み辛いので。

 

原口遺跡の発掘調査

 神奈川県は農業総合研究所を建設するにあたり、平成4
年4月から平成6年9月までの2年半にわたり、用地内に
広がる原口遺跡を発掘調査しました。本館・温室・道路の
各エリアを調査した結果、旧石器[きゅうせっき]時代~江戸時代にかけて
の数々の遺構や遺物が発見されました。
 旧石器時代にあたる関東ローム層からは、ナイフ形石器な
どの石器やそれを作った時に石屑[いしくず]、焼けた石などが15,000
点以上見つかり、キャンプをしながら石器製作をしていた
ことが明らかとなりました。縄文時代の層からは土器や石器
とともに80軒余りの竪穴[たてあな]式住居跡・敷石「しきいし」住宅跡(石を敷き詰め
た住居)と、集石[しゅうせき](調理やまつりのために石を集めた跡)・
墓・貯蔵穴・落とし穴などが発見され、ムラが作られてい
たことがわかりました。また、弥生~古墳時代では70軒以
上の竪穴住居跡とともに約100基の方形周溝墓[ほうけいしゅうこうぼ](方形の溝
で区画された墓)が見つかり、大規模なムラが作られてい
たことがわかりました。住居や墓からは壺[つぼ]や甕[かめ]・銅釧[どうくしろ](銅
製の腕輪)・カラス玉などの装身具[そうしんぐ]が、谷底の低湿地[ていしっち]からは
[くわ]などの木製品が出土しました。奈良時代にもムラが作ら
れており、竪穴住居跡が26軒と掘立柱建物跡[ほったてばしらたてものあと]が16棟見つか
っています。この他、江戸時代の民家跡や井戸、墓、道、
溝の跡なども見つかっています。
 なお、出土品は(財)かながわ考古学財団で保管していま
す。また、出土資料の一部は農業総合研究所内に展示され
ています。
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〈写真〉
弥生時代の方形周溝墓群(温室Aエリア)
〈写真〉
縄文時代後期の敷石住宅跡(外周道路エリア)
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地中に眠る古墳(下榎戸原[しもえのきどはら]古墳)

 背後にある塚は江戸時代のものと考えられますが、道路
エリアの調査で周溝[しゅうこう](古墳のまわりをめぐる溝)が発見され、
地中に古墳が眠っていることが明かとなりました。発掘さ
れた溝の幅は約4m、深さは0.25~1mあり、直径約34m
の古墳(円墳)になるものと推測されます。溝から出土した
土器と石製模造品[せきせいもぞうひん](まつりの道具)から、5世紀後半~6世
紀にかけて造られたものと考えられます。主体部(有力者
が埋葬された穴)は周溝の中央部にあると思われますが、
塚で一部が壊されていて詳しいことは不明です。

 平成6年12月
             神奈川県

こんな感じのトコロ・・・下榎戸原古墳