Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする四捨五入して還暦男の、適当な言語の羅列記録・自称乱学者

続・神奈川県秦野市「乳牛通り」・・・何て読むの?

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チュウシ ダイサン ジチカイ 掲示

昨日の続きになる。乳牛をチュウシと読むというのは、なかなか覚えられない。ただ、ニュウギュウではないコトだけは覚えた。だが仕方ないだろうなぁ・・・乳牛という漢字を見たら反射的にニュウギュウと読むようになってしまっているのだから。ヘタにチュウシと読むコトを覚えると、今度は乳牛と読むべき時にチュウシと読んでしまうことになるだろう。

たぶん、先ずはチチウシと読んでチュウシになったんだろうな。では牛乳は何とする?ウシチチと読んで・・・ウシッチ??確認はしていないが、秦野の方も牛乳はギュウニュウって言うだろう。

さて、乳牛第三自治会という掲示板があったので、乳牛第一自治会も第二自治会もあるんだろう。ただし、第四自治会があるかどうかは分からない・・・そんなクダラナイことを思いつつ散歩は続く。

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秦野・・・石碑石仏は多いと思いますな

いちいち撮影はしなかったが、寺もあるし、クリニックもある。古くからの中心的な通りだったのではないか、と思われる。一軒一軒の家々の区画もゆったりとしていて、近年に分譲された物件のような手狭な印象はない。

だが、秦野市も微妙に人口減少らしく、商店街にはシャッターを閉めた店もある。跡継ぎは横浜や都内に出てしまったのかもしれない。イオンのような大規模店舗が進出すれば、便利にはなるが周囲の個人商店などを駆逐してしまうのは毎度どこでも起ってきたことだから、珍しいことではない。

地方都市での商売に展望を感じられずに、サラリーマンになった跡継ぎっていうのはワガハイのまわりにも多い。そして相続で売られて、複数の区画が繋がっていくとマンションが建つ。あるいは細かい区画に仕切り直されて分譲される。景観というのも移ろいゆくものだが、東日本大震災を経験してコロナ禍を経験中でも、たぶん学習効果というのは見込めずに、都心一極集中に戻っていくのだろう。

太平洋戦争の時、東京・横浜・川崎の空襲で、我が親族も家を焼かれて湘南地域に移り住んだ。そして田舎ほど空襲の被害も限定的で、食糧難の影響も少なく、財産の焼失も少なかったという。太古から大都市というのは、近郊から食料物資を搾取するような構造になっていて、なにかクラッシュすればたちどころに行き詰まっていた。大丈夫なんだろうか?と東京の様子を見ていると思う。

それは、たぶん大丈夫ではないだろうねぇ・・・地上に道路を作れなくなってきて大深度地下なんていうところにトンネル掘って、都内の何処かでは地上が陥没して問題になっている。超高層ビル、タワマン、それってエレベーターが動かなくなって酷い目に遭ったよなぁ・・・そしてそのメンテナンスって大変だろうなぁ。上に伸びるのも10階程度が限度のように思うのだが・・・

そうして重層的に密度を上げていく開発っていうのは、ナニかクラッシュした時に復旧困難になるだろう。例えば電気製品を見てみれば、昔はコンデンサー1本、トランジスタ1個から交換することが出来た。真空管だったら差し替えるだけだ。でも、今は基板交換だ。クルマの修理でも電子部品が多いから、ナニか起れば基板ごと交換・・・保証期限内でなければ修理代は高額になる。

このような状況で・・・SDGsってなんだ?

あらゆる・・・殆ど全ての領域で変革が求められてしまうのが、現在切実になっている環境問題だな。いいかげん、都市開発は考え直した方がいいと思うんだがなぁ。いざとなったら基板交換みたいなコトが出来るのならイイんだけどねぇ。

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乳牛通りは この先右に曲がって終点

上画像辺りだと、秦野駅から徒歩20分位だろうか。ジワジワと登り坂で、だんだん傾斜がキツくなってくる。豆腐屋の辺りでワガハイを追い抜いていった自転車の女性は、自転車を降りて押していった。やっぱりこの環境で生活するなら、電動アシスト自転車が最強の乗り物だろう。普通の買物自転車では、せめて数段の変速装置が欲しくなるだろう。

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県道705号直前にある道標

秦野市の情報を確認すると、乳牛通りという愛称は「市道栄町3号線、水神町6号線」を指すらしい。市道番号では市民の皆様に分かりづらいというコトで、昭和60年に道路愛称検討委員会を設置して通りの愛称を決めたそうだ。

 

ひがしみち    本町一丁目4号線、本町二丁目5号線
大正通り    栄町6号線
乳牛通り    栄町3号線、水神町6号線
醍醐みち    文京町1号線
桜町通り    市道59号線
桜塚通り    曽屋47号線、桜町二丁目13号線
曽屋みち    寿町4号線、入船町4号線、入船町5号線

 

このように名前がついていると、一通り全ての道を散歩してみようか?という気になってくるな。「醍醐みち」っていうのも、どうしてそういう名前になったんだろう?また、秦野に行った時に歩いてみることにしよう。

でもねぇ・・・秦野市役所もちょっとなぁ・・・通りの名前の由来について簡単に解説しておいても良いんじゃない?・・・ただ、よ~く秦野市の情報を探していくと以下のリンクが見つかる。

ふるさと探訪 | 秦野市役所 (city.hadano.kanagawa.jp)

この中に「醍醐みち」について書かれた箇所があるのだが、そこから引用させてもらうと・・・

醍醐とは牛乳を精製して造った今のクリームのようなもの。故梅沢英三氏はその著「秦野地名考」で乳牛(ちゅうし)は牛乳を飼っているところ。醍醐道はその牛乳を精製したものを賞味できる道。そして曽屋は曽つまり牛乳を煮つめて造る食品、今のチーズのような物を生産する家のあるところと解釈できないかという。

※ アンダーライン部は、たぶん「乳牛」だろうなぁ・・・

まあ、由来はハッキリとはしていないのかもしれない。

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「乳牛通り」の石標を過ぎて左に曲がるとこういうものがある

「秦野水道発祥の地」・・・まあ水源地ですな。午後の散歩だったんで説明板があったんだが・・・酷い逆光だったのだ。で、長文だし、肉眼で読むのも辛い状況だったのでパス!撮影も無理!ということで、細かい解説は出来ない。でもまあ、秦野市のWeb.には詳しい解説があるから、以下のリンク先を参照されたい。

秦野の水道の歴史・曽屋水道記念公園 | 秦野市役所 (city.hadano.kanagawa.jp)

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入口を入ると・・・ポンプ装置一式を展示

ざらし展示だけに、なんとなく錆びては塗装、錆びては塗装を繰り返して・・・全体的に緩く甘く溶けたような形態になっている。

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三菱電気製のモーター

錆びていても、マッチョ感ある物体である。我家の庭に置かれていたら鬱陶しいが、こういう公園ならば、意味性もあってこの場所に相応しいかもしれない。錆びっていうのが、また物質感を強調するんだな。機能のあるモーターが役目を終えて、物質性をむき出しにしていくプロセスかな?ちょっと暴力的な存在感を放っていると思う。

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つまり水源地の風景ですよ!

秦野市の水道水源は、次回書く予定の曾屋神社に湧く水とも関係があるらしい。この水道施設と道を挟んである神社だからな。乳牛通りを歩けば、参拝をして帰路につくのが宜しいようで。

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説明板はいたるところにある

いちいち説明がされているので、網羅するのはカッタルイ。配水池の説明によれば、関東大震災では水道施設が壊れたということなんだろう。

まあ、調べながらブログを書き、書いては自宅にある資料を漁っているんだが・・・秦野市観光協会によれば、〈明治23年から給水を開始した曽屋配水場は1983年にその役割を終え、1990年には公園として整備され、現在は「曽屋水道記念公園」として市民へ開放しています。〉ということなので、現在、この水源は使われていないというコトなんだな。たぶん、周辺が開発されたから、水道水源はもっと山の方へ移ったんだろう。

そういえば、葛葉川の上流にある林道を歩くと、水道施設のようなものがあったと記憶している。きっと丹沢の懐に分け入ったところから取水しているのかもしれない。

 

次回は「曾屋神社」の予定ですな。お楽しみに!