都内某公園の桜だねぇ・・・ま、桜だけアップにしていると、何処でも”桜”だねぇ。
そりゃあ、桜撮ってんだから”桜”じゃないと、変だわな。
春は風が強かったりして、花粉も飛ぶ飛ぶ花びらも飛ぶ!それでも桜見たさにどうしても外に出たくなる・・・実は大して花を愛でるなんてことは無くて、馬鹿騒ぎの口実、ってぇのが平均的相場かなぁ・・・しかし、高田馬場で夜桜見物して、駅前で縄跳びまでするんだろうか・・・?世の中ますますミステリアス・・・老人の入り口に立つEtsuro1には、全く分からないことになってきたように思うんだねぇ。
花見の騒ぎ・・・それが嫌いで若い頃は林道を上がっていって”山桜”しかも一本桜を一人でゆっくりと楽しんだもんだねぇ・・・それこそ”風流”だったねぇ。あちこちでウグイスが鳴いて、鳴き声を比較して、一人で批評してたね。どうやら若いウグイスは鳴き方がイマイチで、息が長くない。それで熟練の鳴き真似しようとしているんじゃないか?というような感じもしたりしてね。
山の中で木々を愛でたりしていると、イノシシに出くわすってえのは、あるね。これ、常識的には危機的状況な訳ですわ!でも、襲われたことは今のところないね。こっちもスケッチブック広げてたり、カメラもって風景をジーッと凝視してたりするから、イノシシからすると人間の気配が無いんだろうね。で、何となくお互い目が合っちゃったりする・・・するとイノシシが動揺しているのが分かるんだが、何だか可笑しくなっちゃってねぇ・・・こちらが笑い出しちゃったんだな。するとイノシシは攻撃することもなく、ソロソロと離れていったね。たぶん、イノシシからすると相当不気味に思えたんだろうねぇ。さすがに熊さんとは出会ったこと無いけれど、知り合いのオッサンは、熊さんと一緒に山菜採りしてたらしいからねぇ。
自然(他者)って、人間(個人)の都合にあわせてある訳じゃ無いからねぇ・・・敵視して戦うという考え方だけじゃないようにも思うんですがねぇ。
やり過ごす、いなす、ということも必要なんじゃないかねぇ・・・そんな感覚が東洋的なんじゃないか・・・そうした民度って、考えていたいと思う訳ですな。
うろ覚えなんだかこんな話を聞いたことがあるな・・・「ノアが箱船に入る日まで、人々は普通にどんちゃん騒ぎしていたけれど、大きな洪水がやってきて、みんな滅ぼされちゃったんだよ・・・」子供の頃に祖母が話していたねぇ・・・そして祖母が経験したスペイン風邪の話でも、直接的な話はせずにノアの話のようだ、と言ってたねぇ。スペイン風邪の始まりは「酷い風邪が流行っているらしい」という噂程度でみんな油断して、普通に飲み食いしていた・・・気付くとまわりで次々罹患し出して、助からない知人、親戚・・・葬儀も出来ず、病人を出した家は村八分(差別)だったようだからねぇ・・・(問題は、箱船はない!ということ)。
そんなことを思い出して、ネットの聖書検索で調べてみたら、どうやら”ルカによる福音書”の17章27節以降に書いてある事なんだね。なるほど、痛烈な内容だ・・・教訓として受け止めるにも厳しい内容だな。それだけの逆境が繰り返されているんだねぇ。33節は拡張解釈して「自分を大切に保つことが他者を守る」ということにした・・・これ、一番実践してるのは間違いなく政治家だね。自分の再選への道(立場)を確保してから”封鎖”などという言葉を使い始めた・・・なるほどねぇ・・・ナルホド、naruhodo。
桜・・・そろそろ終わるよねぇ。
それにしても、ただ思いつくことを乱雑に書き記しているだけなので、全体としては何だか分からんブログになってるだろうなぁ・・・前頭葉崩壊!だからしょうがないねぇ。