大変な彫刻家がおられたんだが・・・これ、読んで字のごとし、“大変”とは「大きく変」と書く。まあ、ワガハイも人のことを言ってられないかもしれんが。この方は既に竜宮城で鯛やヒラメの舞い踊りを見ながらドンチャン騒ぎしているか、案外おとなしく「しとどの岩屋」のような処に隠れているか、つまり浮世離れというよりも、あの世離れみたいな状態になっていると思うんですな。
で・・・この方、本が大嫌いなのである。「本なんか読むな!」と言うのである。そのココロは?というと、
「本に書いてあることって、そんなに凄いのか?出版すれば偉いのか?それはオカシイだろう。変なコトいっぱい書いてある本だってあるぞ!オレは本に書いてあるコトなんて信用しない。本なんか捨てちまえ!あんなの読んでいるとバカになる。」
と、いうことらしい。ま、非常に興奮気味に語っていた。
ワガハイは論文なんかも、物好きだから目を通すコトもあるんだが、人の書いたことなので完璧というコトはない。ナニガシカの誤解や曲解、認識不足というのは見つかるもんだ。失礼ながら、これが学術論文ですかいな?っていうようなものも、中にはあるからねぇ。なにが権威なのかと訝しいもんですわな。
で、これが池上彰さんの解説内容についての話になる。昨日のテレ朝「大下容子ワイド!スクランブル」での「ユダヤ人差別問題」に関する説明の荒っぽさに、ワガハイは「困ったなぁ・・・」と思ったのである。
でもまあ、ネット上では既に批判は出ているし、ワガハイが追記するのは時間の無駄だろう。だが、池上さんと増田ユリヤさんが出演されている幾つかの場面(出版物やYouTubeもあるんだ・・・なんか凄いねぇ)で、聖書読解の甘さがど~にも気になる(ま、そんなにキッチリとは読まれていないんだろう。そんな時間がない程に多忙な方々だろうからな)。それに番組の限られた時間の中では、説明も限られることだろう。でもなぁ・・・そういう問題じゃないな、チャンと読んでないな。
「福音書」を「旧約」との関連性の中で捉えながら読解していく・・・それをやらないと読み違えるよなぁ・・・。
ま、ストーリーの表面だけを滑って読んでいったとしても、福音書の次に来る「使徒言行録」にあるイエスの弟子達への迫害と、ステファノが受けた石打ちによる
「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい(使徒言行録 7章54節以降の記述)」
と大声で叫びつつ死んだという記述。そして
「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか(使徒言行録 9章4節)」
を考慮すれば、幾らか問題点に気付かれるのでは?
ま、番組では「マタイによる福音書」を引用されていたので、該当箇所周辺をもっと正確に読み直された方が良いだろう・・・というコトにして、
「祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。(マタイによる福音書 27章20節)」
ピラトは言う・・・
「いったいどんな悪事を働いたというのか(同23節)」
・・・ピラトは群衆の前で手を洗って、
「この人(処刑されようとしているイエス)の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ(同24節)」
・・・祭司長たちや長老たちの陰謀によって民はこぞって答えた。
「その血の責任は、我々と子孫にある(同25)」。
さて、これをどう解釈されるか?
祭司長たちや長老たち・・・とは、いったいどういう方たちを指すのだろう?(長文読解の設問のようですな。)
番組ではナニか、対象を誤認されているような説明だったな。この件、一応の解答はあろう。だが、ここは時間を掛けて読解するのがよろしいだろう。池上さんも増田さんもホント、聞いているうちに、あれれ?そういう方向に滑って行っちゃうの?という解説が多いよなぁ・・・。
ユダヤ、ホロコーストを、多くの日本人が西欧の人達のように理解するのは困難かもしれない。この番組の解説を聞いていてそう感じだ。だが、起きた事実を認めて、同様なことを繰り返さないように肝に銘じることは出来る。忘れずに継承する・・・つまり記して念ずることの重要性は、ますます高まるばかりだと思う。かつて流された血と涙は、今生きる者の中にも流れている筈なのだから。
冒頭の大変な彫刻家の発言にあった「あんなの読んでいるとバカになる」というのは、ちょっと乱暴すぎるとは思うが、本の内容もテレビ番組の内容も、まあ、概ねってヤツでしょうな。でも、ディテールに関して一応の突っ込みをしておこうと思うんですな。「それ、甘いぞ!」ってね。そういうもんだ、で終わられては困るから。
ワガハイも忘れっぽくなっているから、感じたことだからここに記しておこうと思う。