Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

宇宙人との遭遇?・・・ファリサイ派は居心地いい

昨日に引き続き・・・

 

最近の事情は知らんが、昭和40~50年頃に関しては、UFOを見たとか見ないとか、こういう話にココロある常識的な人たちは、距離を置いた。

それは今でも相変わらずかもしれないが。

特に「未知との遭遇」なんて映画が流行った時には、UFO目撃ネタはマスコミでも増えたし、学校での目撃情報もチラホラ聞かれた。

ナンでだろうねぇ・・・話題のおかげで、人々の空を眺める時間が増えたんだろうか?

 

空を眺める機会というならば、同じ時間を眺めるにしても、渋谷スクランブル交差点で空を眺めるよりは、平塚の街外れでボ~っとしている方が、圧倒的に広い空を見上げるコトが出来る。そんな理由からも、丹沢大山ピラミッド説&UFO基地みたいな話が出てきたのだろうか?実際にUFOを目撃したいなら、空が広い方が有利な理屈だろう。

ま、宇宙人とUFOが一致するとは限らないとは思うが、宇宙人の偵察根拠っていうのを、地球人的に推定するならば、近くに厚木基地もあるしねぇ。

でも、厚木基地界隈って、訓練ながらも哨戒機P-1がブンブン飛び回っているんだから、レーダーにナニガシカ映り込んでいたりしないのかねぇ?UFO用のレーダーは搭載されてないのかな?

 

ワカランこと、ミステリーってぇのは、好きモノ同士では盛り上がるけれど、傍から見ればアタマのおかしな連中に見える、ってぇのが相場。統率された環境を必要とする場では、こういったミステリーは統制を乱す原因になる。といったコトから、見えては困るものとか、圧倒的少数の意見を大組織に持ち込まれては困る・・・ので、そういうコトを発言すると異端扱いされてしまう。

etsuro1.hatenablog.com

昨日の当ブログ末尾の〈#未確認飛行物体〉ってぇヤツをクリックすると、とても詳細に書かれている以下ブログに行き当たるけれど・・・

orihime.hatenadiary.jp

という内容は、以前から時折聞かれる有名話を詳細にまとめられた長文だ。ワガハイが書くまでも無いので端折った。それに、ここまで詳しく書けないしねぇ。

で、コレの方が手っ取り早く、だいたい状況は推測出来る・・・ってな動画がコレだ!

youtu.be

冒頭から見られても面白いと思うけれど、ここで引用すべき箇所は後半の13:20辺りからである。

つまり、このようにして目撃情報は封印されていく。

事実だったとしても、隠さなければならなくなってしまう。

 

という問題が、ジャニーズ問題にも関わってくるワなぁ。内部で起きていたコトを指摘出来なくなる。夢を実現したいならば、現実は厳しいのだ。嫌なコトにも耐えねばならない。それと引き換えに願いが叶う・・・ってなモンだろう、と。そして現実ってぇのは夢ではない、と。

人権が封印されていく・・・というか、ない。

だから事実が封印されていく。

藤島ジュリー景子前社長の手紙を読み上げる井ノ原快彦ジャニーズアイランド社長の口から発せられた「洗脳」という言葉は、その前後文脈から切り離してソレだけを採り上げてもいいだろう。コレが出れば即ち・・・

カ・ル・ト

ま、その言い方が嫌ならば、封建主義、絶対君主制。民主なんて微塵もない、と。

でも、港区乃木坂にある「神殿の垂れ幕」は破れましたな。

 

もっと単純にして明解なのは「イエスさんに会ったんだけど」と言って、キリスト教会を訪ねてみると仮定すればよい。体よく追い出されるだろう。「教会っていうのは、そういう場ではない」と。それは、会派にもよるかもしれないが、司祭ならばそういう立場をとるだろう(ある司祭に仮定の話として雑談で聞いてみたコトがあるし、司祭ってぇのはそ~ゆ~役割だからなぁ

昔々に起きたゴルゴタの丘での一件を記念する・・・ってなワケで、言わば怨霊封じ的な意味合いもあるからねぇ。

かつて「おかしいなぁ、祈れば祈るほど、イエスさんが遠のいていくんだよ」と、首を傾げていた引退司祭さんが居た(以前も少し書いたかもしれない)。その時は、なんだかワガハイがお悩み相談みたいな雑談になってしまったんだが。

そりゃあ、怨霊封じだからそうなるだろう。で、信仰者は冷静に聖餐式の意味合いなど読み取りはしないのが習慣(祈りは理論ではない)。このコトに気づくことも少ないか。

エスさんの復活を願いながら、実際に復活されたら気付かないっていうのは、ヨハネによる福音書で既に書かれている状況なワケだし、その復活に立ち会ったのが女性だった、ってぇのも、要するにそ~ゆ~コトだ。男の出番ではない。

男はだいたい、ファリサイ派が居心地いいんである。

たとえイエスさんが復活されても、キリスト教会からは相手にされず、医学に見捨てられた信徒の不治の病を癒そうものなら、ファリサイ派的男たちは何処か問題のない土地を探して、そこに再びゴルゴタの丘を出現させるかもしれない。

 

ま、説明しやすいからキリスト教会を例にしたけど、仏教系の礼拝だって分析的に立ち会っていると矛盾点やら、憤慨したくなる点は見受けられる。それが宗教だと言われるかもしれないが・・・宗教を嫌悪して否定したトコロで、同じようなコトがそれ以外の組織で起こっていることは言うまでもない。

政教分離しても、政ってぇのは、困ったコトに同じ問題を抱えてしまう。これは制度の問題ではないだろう。

コレこそ人間という動物の罪の一つだ、と・・・ワガハイは思う。

いや、罪というよりも習性と言った方がいいだろう・・・動物だからねぇ。そして習性の問題に立ち向かう流れがある、ってなコトだ。人工美を追い求めているんだなぁ。

 

やっと届いたシャガール展の図録