Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きする男の戯言記録

小町神社・・・その2+小野神社

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この内容も書き出しておこう

小町神社縁起
 この小町神社は、その昔鎌倉時代丹後の局
という世にもまれな美人がおり、ひそかに源
頼朝のご寵愛を受け終に局はみごもりました。
これを知った夫人政子は大変ねたみ、畠山重
忠に局を由比ヶ浜で首をはねよと命じました。
重忠は下臣の本多次郎に命じ局を浜へ伴い殺
そうとしましたが、局の身を哀れみ身代わり
を立てその場をつくろい、乳兄弟で小野の住
人川上酒匂の屋敷にかくまい局を助けました。
然しいつとはなくその事が政子の耳に入りそ
の怒りは骨髄に徹する程厳しく、局は俄かに
白髪の姿になってしまいました。局は心を静
め考えた末「俤のかたわらで年の積れかし、た
とえ命に限りあるとも」という古歌を短冊に
書き身心を清め十七日間一心に小町姫を祈っ
た処、満願の日に元の黒髪に戻りました。局
は霊験の尊さを感じ小野の林中に小町神社を
建てました。それ以後三十歳以下の男女で白
髪の人が心厚く小町神社へ祈ると黒髪に変わ
り、遠方の人々も参詣に来る様になりました。
その後局は泉州住吉で玉の様な男子を生みま
した。その子が後の薩摩の島津家の先祖だと
人々は伝えています。
    伝者 別当 小野山宮野院

 

   小野小町の七不思議
一、小町の片葉松  一、小町海苔
一、業平竹の自生  一、化粧塚
一、小町の化粧池  一、小町の竹橋
一、小町の石橋(一説には小町井戸)

 

   平成六年十月吉日

 

神奈川県厚木市小野は、伊勢原市との境に近く、日産テクニカルセンターなどが近在する。やがて相模川と合流する玉川という川が流れており、その川を遡ると七沢温泉であり、支流の日向川は日向薬師の谷筋を形作っておるな。

小町神社のほかに小野神社というのもある。以下の画像は、その小野神社側から見た小町神社である。小町神社が小高い丘の上に位置することがわかるじゃろ~!

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木立に隠れて分かり辛いが・・・てっぺんに見える社が小町神社じゃの~ぅ

Etsuro1的には、この地域の神社やら史跡を訪ねたあとは、七沢に向かって「盛升」の純米酒でも買って帰ればゴキゲンなんじゃあないだろうか?昼飯は七沢で「和風料理おかめ」で「季節替わり膳」とか「おかめ定食」をいただくというのも、なんともいい感じの小さな旅になりますな。「ウナギの骨せんべい」は美味ですな。

 

さて、小野神社という名前が出てしまったから、そのことも以下にとり上げておこう。

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小野神社のやや遠景

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小野神社でありますな

そして説明板はこのようになっておる。

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小町神社より立派な説明板

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拡大の図

ま、上の画像でも内容は読める・・・な。でもまあ、以下に書き出しておきますかな。その方が読みやすいからね。

 

小野神社
 この神社は、延長【えんちょう】五年(九二七)の「延喜式【えんぎしき】巻九に「相模
式内社さがみのくにしきないしゃ】の内愛甲郡【あいこうごおり】一座小野神社」と書かれています。
 現在の拝殿は、嘉永【かえい】元年(一、八四八)に建てられ、わら葺【ぶき】
屋根でありましたが、昭和四十三年に鉄板葺【てっぱんぶき】に替えられま
した。本殿は拝殿よりも一メートルほど高い地面に神明造【しんめいづく】
で造られています。「新編相模国風土記稿【しんぺんさがみのくにふどきこう】」に「閑香明神社【かんかみょうじんやしろ】
村の鎮守なり。延喜式に載【の】りし小野神社、当国【とうごく】十三社の一【いつ】
て祭神下春命【さいじんしたはるのみこと】という」とあります。
 明治時代になってから、この神社の祭神には日本武尊【やまとたけるのみこと】
加えられました。それは日本武尊が東国の賊【ぞく】の征伐【せいばつ】に向か
った際、野火【のび】の焼きうちの苦難にあうという「古事記こじき」の記
述の地が「小野」と関係するとして祭神に加えたもののよ
うです。
 この神社は、建久【けんきゅう】五年(一、一九四)愛甲三郎によって再興さ
れたとも言われています。愛甲氏の本家の横山氏は、小野
妹子【おののいもこ】の子孫と伝えられ、愛甲氏の家系の信仰は厚く、特に
江戸時代には、愛甲姓の武将【ぶしょう】の参詣【さんけい】が記録されています。


  平成十二年三月吉日
    厚木らしさの創造推進事業玉川地区協議会

 

注:【 】内はルビ

 

古事記における日本武尊の東方征伐に所縁あるとされる小野地区。そんなことに思いを馳せながら、この地域も古墳とか多いので散策は楽しいでしょうなぁ・・・なかなか古墳の散策が出来ずにいるんですな。

ちなみに横穴古墳の中を覗き込むには冬という季節はいいねぇ。夏だと虫やら蛇やらいろいろ遭遇することがありますからな。