昨日に続き、若宮公園内のD51。
どうしてこの公園に、このD51がやって来たのか?こういった流れって、一応気にはなる。
そりゃあ、大型トラックに乗せられてここまでやって来て、大型のクレーンで吊られて設置されたのだろう。だが、この公園の詳細を知らぬワガハイとしては、どういった搬入ルートだったんだろう?まさかヘリで吊り下げた・・・ってなコトは出来ないだろうし。
案外、謎が謎を呼ぶD51だ。
地下鉄は何処から・・・ってなコントが昔々あったなぁ。それを考えると夜も眠れないんだっけ?
コレ、ひょっとして分解して現場で組み立てた?ついでに傷んだ塗装もしたとか。
でも・・・分解するなら完全整備して、動態保存だよなぁ・・・って何処で?D51って巨大だから、たぶん石炭も大食いなんじゃね?
燃費的にはど~なんだろう?
熱効率は低いよなぁ・・・?
ならばハイブリッドにしたらい~んじゃね?
ドングリでSL走らね~かなぁ?
こんなに落ちているんだから・・・。
と、下らんコトでも思わないと、なんか漂う哀愁に耐えられん!もうちょっと賑やかなトコロに展示出来なかったんだろうか?
それで一応、この「D51 1119」の来歴を調べてみようとした。だが、ワガハイがネット上を探した程度では、しっかりとしたデータが得られなかった。幾つかの記述から総合して考えてみると・・・
北海道追分機関区で廃車になって、小田急本厚木駅前にやってきて暫く展示された後、ここ若宮公園に設置された流れになるようだ。
「相模原D52保存会の活動日誌」によると、
1976/03/01 廃車、最終配置は追分機関区
1976/08/07 若宮公園に保存(以下リンク先より)
廃車後、直ぐにこの若宮公園に設置されたというコトになる。だが、タウンニュースの記事では・・・
この車体が本厚木駅前から同公園に”引っ越し”たのは1983(昭和58)年2月23日。35年前のきょうだった。(以下リンク先より)
この二つの記述・・・分かりやすい程、矛盾するよねぇ。
おそらく、タウンニュースの記述にある、本厚木駅前からの移動に間違いはないだろう。そして北海道で廃車が決まり、そこで長いコト放置されるというのも現実的ではないから・・・って、スクラップにすればソレナリの値段は付くだろうから。それにひょっとして、昭和19年製造だけに・・・「陸奥鉄」的な価値もあるかもしれないし。
だから、本厚木駅前設置の話は割と決まるのが早かったのではないかと、推理しておこう。「相模原D52保存会」の〈1976/08/07 若宮公園に保存〉という記述は・・・
1976/08/07 本厚木駅前に保存
こういうコトなんじゃなかろうか?ならば、辻褄は合う。
だが、こんなブログも見つけた。
matsucyanboubiroku.blogspot.com
この文面からすると、1973年には本厚木駅近くの「汽車ポッポ公園」にやってきたことになる。ただ、難クセつけるワケじゃないが、〈D51-1119 号機が保存の為市が公開した1973年頃の写真を発掘〉っていうと・・・正確にはどの様なコトなのかワカランのだ。
だが、この「松ちゃんの忘備録」というブログの記事が正しいならば、〈1976/03/01 廃車、最終配置は追分機関区〉という「相模原D52保存会」の記述の信憑性が揺らぐ。
あ~~~、ワカラン!
とりあえず、ここで追及は止める。まあ、かつては本厚木駅近くに設置されていたというコトには違いなかろう。そういえば、あの辺りの公園にSLがあったようなワガハイの記憶もあるような気もするし・・・。
で、ワガハイ的には、D51見るだけならば、木祖村観光協会そばの「D51 238」の方が見やすいよ!ってなコトだ。マニア的には見比べると面白いんだろうな。中央本線で走っていたヤツと、雪の北海道を走っていたヤツでは、仕様が違うみたいだから。
次回に続く。