低山歩きの楽しみは森林浴であり、植物観賞だな。別に頂上を目指す必要もなく、気に入った風景や草花を見つけたなら、その場で存分に鑑賞して堪能し、そのまま帰宅してもいいのだ。あまりにも感動したならば、もう余計なものに惑わされることなく、その余韻を自宅に持ち帰って風呂の中で反芻する楽しみに浸ればよい。
山頂に登らないと登山ではない、という思いにとらわれていた若かった頃、体力なりにより高い山に登りたいと思ったし、鎖場にもワクワクするもんだった。案外、風景や植物の美しさを堪能することが二の次になっていたと思い返す。
Etsuro1:「表丹沢登ったんだ。」
A氏:「やっぱ、大倉から?それともヤビツ(峠)?」
Etsuro1:「登山訓練所(当時あった県立施設)から鍋割(山)経由の予定で・・・」
A氏:「ああ、で、山荘(鍋割山荘のこと)で鍋焼きうどん食べた?」
Etsuro1:「いや~、後沢乗越から尾根歩いている時、振り返った展望が綺麗だったんだよ。」
A氏:「ああ、あそこ、天気いいと気持ちいい展望だよね。栗ノ木洞から登ってくるのもいいけどね・・・」
Etsuro1:「いや、それで鍋割頂上まで登る時間が無くなって下って来たんだ・・・」
A氏:「ナニソレ?」
これはなかなか理解出来ないことだろうなぁ・・・ワガハイはしばしば頂上に至ることなく、山中をフラフラしていた。それは20代後半の頃のことで、やはり20代前半は頂上に行ったな。鍋割山荘に関しては、立寄ったコトが無いのは確かだ。そのまま塔ノ岳まで行ってしまったからなぁ・・・。
最近はグーグルのストリートビューや360°画像で、丹沢の主要ルートを見ることが出来る。便利になった反面、少々無粋な感じも否めないが・・・随分と山の雰囲気が変わったな。丹沢山塊の最高峰、蛭ヶ岳は行かずじまいだったのは心残りだが、姫次へ向って早戸川上流域をフラフラしていた時の植物の芽吹きの美しさは、今でも忘れることがない。その辺りの画像が見られないのはちょっと残念だ。全く勝手な話だが、さっきは便利だが無粋と言いつつ、やはり体力に自信が無くなった今、ちょっと見てみたいという欲求が叶わないと、不満であるわなぁ。
いつしか、山登りの仕方・・・というか関わり方が変わっていったな。登頂が目的では無くなってしまった。で、登山道やハイキングコースから外れて、鉄塔監視路や、適当な踏み跡などを使ってフラフラしておった(ヤブコギ覚悟)。勿論、コンパスと地図は持参していて、何回かはルートが把握し辛い状況におかれて難儀したもんだ。でも遭難はせずに済んだ(まあ、ソレなりに危険もあるからお勧め出来るコトではないがね)。
ナニが面白いかというと、動物と出合ったり、様々なキノコを見つけたり、ワクワクしていたな。幸いなことに熊さんとは至近距離で出くわすことはなかった。遠巻きに姿を拝見したコトはあるけどね(ツキノワグマでもデカイ!これ、北海道の山でヒグマだったら・・・北海道手強し!)。
まあ、この話はワガハイの思い出話ではある。だが・・・東京五輪に関するコト、アスリートの皆さんへの、遠回しのお話でもあるんですな。
ワッカルかなぁ~ワッかんねぇダロ~なぁ~・・・イェ~イ!(っていうのが昔あったねぇ)。