Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きするろーじんの戯言記録

温い切れ味・・・生き方を考える上での大きな参考

鉢植えブドウの秋(猛暑を越えて痛みまくったピノノワール

朝晩の冷え込みを感ずる季節となった。とはいえ、ココは神奈川県南部地域なので、幾つかの読ませていただいているブログと比べると、大した冷え込みではないのだ。

冷え込みネタで書くほどのモンじゃない。

 

「季節の変わり目は、体調不調に注意しないといけない」と、口癖というか自分に言い聞かせるように祖母は言っていた。明治生まれの人の常識は、今を生きる我々と比較出来ないほどに医療が遠く、出来る術が限られていた前提。確かに祖父母のお付き合いのあった方々は、彼岸の時季前後から葬儀が多くなった。かえって真夏や真冬の方が葬儀がなかった。

祖母は経験則や、親の代からの口伝えによって、この季節の注意点を戒めにしていたのだろう。

それがある時「自律神経失調症」という言葉が登場して、意味が分からぬままに「自律神経・・・」を連発し、枕詞か掛け声のようになっていった祖母と母だった。思えば健康意識は男よりも女性の方が高かった・・・概ね?

 

ワガハイは当ブログで繰り返し書いているように生まれて以来、虚弱である。正確には満三歳の頃に発症した小児喘息以前は、特にな~んの問題もなかったらしい。発症して2回程、強烈にキツイ発作を起こしてから今日に至るまで、な~~んか虚弱が人生に影を落とし続けている。

そして、弱い者ほど微妙な変化の影響に敏感で、大きな影響を受けるコトが小学生の頃からの実感だ。体力に溢れた者が気付かずに通り過ぎる現象に反応し、強靭な者が挑む障壁には迂回路を考えるようになった。

そうして今日に至っている。

そりゃまあ、ワガハイなんぞより大変な人生を歩まれている人は多いけれど、一応やっぱり「もう少しパワーがあったならば、我が人生ももう少し・・・」と、思ったトコロで致し方ないコトがアタマを過るコトは多々あり。

一方で、もっとパワフルな人生を送れていたとしたら、今、気付いているコトには全く接する機会も得られなかったとも思う。そして結論として、全てがスペシャルなプログラムで与えられているのだ!というコト。

それがナニによって与えられているのか・・・というのは、信仰心があれば神や仏、ご先祖様と位置づけるだろう。信仰心が無ければ偶然とするのだろうか。ワガハイ的には偶然というのが無いとは言わんけれど、だいたいは何らかの必然があるのだ、と考えるタチなのだ。

だから・・・意味なんていうのは人間という動物の浅はかなこじつけに過ぎないけれど、なんか・・・ある、のだ!

その様に考え、慎重に行動したトコロで、ナニが分かるワケでもなく、ナニが変わるワケでもないかもしれない。だが、ジッと考える瞬間を持つ。

ま、神の導きとするのが一番分かりやすいし、そこで感謝の祈りをするのが宗教的にはヨロシイことだろう。しかしながら、祈れば終わり・・・というのもアルよねぇ。

 

だから祈らない。ジッと考える短い時間を持つ。

答えはない。

でもいずれ、結果として出てくる。それが答えだと思う。

 

だが、良く考えるコトは良きことと教えられてきたし、思慮深い必要はある。安易な行動は、そのような結果に陥るかもしれないし、陥った時に分析が困難になるというのが我が経験則。安易な始まりは修正が出来ず、いや、修正もせずに捨て去ってしまう。そしてそこには瓦礫の山が築かれる。

 

パワーで突破するのは、ナニガシカがぶっ壊れるのだ。

 

結局、現実は幾らか刃物を丸めないと保てない。これは永田町界隈のコトを暗に言っているのだけれど・・・それは長い切れ味を維持する刃物の研ぎ方に似ていると思う。研ぎ過ぎた刃は、その時は切れるが欠けやすくて切れ味が落ちやすい。しかし、ほんの少しだが切れ味を丸く仕上げた研ぎの刃は、欠けにくくて切れ味が長く続く。

コレは20代の頃に料理人の包丁を見せてもらった時や、大工さんの鑿や鉋の刃を見せてもらった時、そして決定的だったのは、輪島塗の沈金刀で実際に漆の塗面を掘らせてもらった際の、指に伝わる感触だった。それはひと口に言って「温い」切れ味だった。

 

温い切れ味・・・この感触は、生き方を考える上での大きな参考になったなぁ。

 

というコトで、これから冷え込んでくる季節だけれど、そのシャープに変化する寒暖差に対処するには温い対処をして、身体を保全していこう。適度に温い服装は、つまりココロを寛容にするのだ・・・きっと、そうに違いない。