Etsuro1のブログ

関東南部で寝起きするろーじんの戯言記録

「記録をひらく 記憶をつむぐ」をメモしておく

会期の長い展覧会ほど、行きそびれる。反対に会期が短いと行けないコトが多い。では丁度良い会期ってどの位だろうか?

結局、あまり会期って関係ないかもしれない。行かねばならぬならば無理しても行くし、どっちでもイイならば先送りしているうちに終わってしまう、だけだ。

というのが元気だった頃の話し。体力と気力を節約するようになった昨今、見たくても出られず、体調不調でドタキャンもあり。まして会場が都内となれば、あの空気の悪いトコロへわざわざ出向くっていうのは覚悟もいるし・・・腰が引ける。

つまり、アレコレと理由を付けては先送りしてしまうけれど、やっぱりナントカ観ておこうと発起して、会期終了ギリギリに竹橋へと向かった。

 

そこは東京国立近代美術館。なんとなく暗い雰囲気の漂う・・・というよりも陰険さが漂う空間と言ってもいいかもしれないけれど、ワガハイはあの空間、立地条件が嫌いだ。濠を挟んで反対に位置する「毎日新聞」の方が圧倒的にマシだけれど・・・あのビルの内部空間はな~んか圧迫感があって好きではない。

というコトで、毎日新聞社の編集部の空間っていうのも好きになれなかった。

っていうか・・・それは朝日新聞だって、な~~~んか、ねぇ?

それに比べれば産経新聞の編集部の空間の方が、かなりマシに思えたけれど、今はど~なのかは知らんケド。

いや・・・コレは単に空間の話しであって、そこに勤務する人々のコトを言っているワケではないので誤解なきように!

宮本三郎 本間、ウエンライト会見図 (1944)所蔵:東京国立近代美術館(無期限貸与)

「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」というタイトルで、2025年7月15日~10月26日までの展覧会だった。

内容が内容だけに、シレっとやろう・・・的な雰囲気が漂っていた始まり方だった。な~んか気付かないうちに始まって、知る人だけが見て、いつの間にか終わった・・・っていうような感じでもイイかなぁ?というような企画者の気持ちもあった、かもしれない。

でも、会期中盤に入った頃に日曜美術館で紹介された、んだっけ??ま、クチコミ的に広がって行きました的に会期後半はそれなりの入場者となっていたんじゃなかろうか?ワガハイは午前中に会場入りしたので、割と空いていたんだが、観ているうちにドンドンと人が増えていった。

我が見方としては会場出口に達すると、もう一度確認しておきたい作品っていうのが数点は出てくるので、会場内を逆走することになる。そしてポイントを観てから退場となる。その逆走がやり辛い感じの人出になってきていた。

 

こうした展覧会では往々にしてあることだけど、広報で用いられたり、マスコミで全面に使われた作品の前には人だかりが出来る。という訳で、入口近くに展示されていた上画像の宮本三郎作品は、数名の方々が空間を占拠していた。それはまるでカウンターで長居する常連客の如く、動かないのだった。

遂にワガハイ、この作品は正面から鑑賞するコトなく立ち去ることとなった。

撮影可となっている作品だったので、スマホでメモったけれど・・・左側に小さく撮影禁止のポスターが写り込んでしまったので、Photoshopでボカしを入れておいた。このポスターも宮本三郎の原画で、これぞ実に戦争ポスターの代表ともいえるヤツだ。コレで多くの若者が死にました!という問題のポスターだ。

 

このポスターが、既にあの世の住民票登録を済ませたオジオバ達の語っていた宮本三郎の世界、なのだった。

 

それて、「・・・会見図」なんだが、キャメラが画面の中心になっている件について、日曜美術館でも解説があったけれど・・・オジが語ったこの画の意味は、少し違った。つまり大本営的には銃剣やらキャメラっていうのは武器なワケで、これだけ凄い機材を持っている我が日本軍であるコトを誇る為にも、頑張って描かせた・・・らしいのだ。

したがって、直線がど~しても曲がってしまう癖のある絵描きは排除された。つまり絵具もキャンバスも支給されないんである。一方、人物が多少上手くなくても、飛行機がイイ感じで描ければOKなんである。

この話しの内容は、親戚でも一番素性の怪しいオジの話しなので、図星かもしれない。な~~んか、ホントウのコトは隠している感じがしてならなかった。我が予想として、スパイやってたんじゃね?的なんである。風貌は丹波哲郎さんにチョット似ていたけれどねぇ。

 

ま、戦争画で時の人となった宮本三郎は、敗戦後には苦悩したという。我が母親も、宮本三郎戦争画で有名な画家・・・であって、それ以外の作品なんて一つも知らなかった。そしてそのような人たちが沢山いたのだ。それは宮本三郎さんとしても、不本意だっただろうと思うけれど。

 

小磯良平 娘子関を征く(1941)所蔵:東京国立近代美術館(無期限貸与)

宮本三郎とは対照的に、小磯良平さんが戦争画を描いていたコトをよく知らなかった祖母であり母だった。勿論、その怪しいスパイの疑いあり!男は知っていたけれど。っていうか、その怪しい男は宮本三郎の小品をコレクションに加えていて自慢していた。そして一時、小磯良平の作品も持っていたみたいだ(ワガハイは子供の頃に、その小磯作品を観ているんだが・・・子供すぎてどの様な作品だったか記憶が定かではない。つまり、子供にとってはつまらん絵だったワケだ)

 

でもまあ・・・こうして小磯良平戦争画を観てみると、な~んかうまいコト軍部の意向を躱しながら描いているように思えた。要するに宮本三郎よりも賢く立ち回っていた感がある。流石!と言いたい。そして、人物や馬の描写を観れば、やっぱり宮本より技巧は正確だよなぁ。

 

ま、ヘタクソだと絵具も支給されず、世間からは役立たずと馬鹿にされたけど、戦後は飄々と生きることが出来た絵描きさんもいる。ワガハイならばヘタクソ側でいたいもんだ。