
昨日に続き、叔母(A)の遺品の中にあった本について。
ワガハイは「暮しの手帖」を読んだコトがない。そもそも雑誌類を読まず買わずになって久しく、最後に買ったのは・・・記憶にない。今、書棚にあるのは1980~90年代前半の「4×4マガジン」「新建築」「SD」「現代詩手帖」「美術手帖」「NHK 男の食彩」「カメラ毎日」といった数冊しか見当たらない。
書棚の内容は、その人のナニガシカを表してしまうから、あまり一目には触れさせたくない点もあるけれど、雑誌に関して残っているのはその程度だ。
週刊誌は・・・たぶん保管箱を開ければ50年以上前の「週刊朝日」が一冊出てくるとは思う。若きワガハイの姿がドカ~ンと掲載されているから。ま、同一人物と同定出来ない程に変わり果てた現在の姿ではある。
というワケで?
「すてきなあなたに」と書かれた書物を前にすれば・・・?????
妻は「暮しの手帖」を読まれていたんだぁ~!と反応するけれど、ナンのコッチャ?
要するに雑誌連載されていたものをまとめて出版しました・・・本みたいだ。ページを開いて目次を眺め、暇な時に読んでみるか?とも思ったが、あまり気が進む感じがせずにページを綴じた。装丁は綺麗なので、それを眺めて終わりとなったのだった。
この本は、祖父の持ち物ではなくて叔母が購入したのだろう。昭和55年初版、この刷は18刷なので、結構売れたのだろう。定価1200円と表示されていた。
絶版にはなってないみたいだ。現在価格は2640円(税込み)だ。随分と値上がりしたなぁ。保管状態は良好ではなかったので、それなりに細かなシミが生じて変色もしているから、ブックオフではタダならば引き取りますよ!ってなトコロだろう。そして店員は「廃棄・・・」って言うんだよな。
ホントウに廃棄なのかは知らんケド。
ま、でも重版しているだろうし、古書としても流通量はあるだろう。この本の一冊や二冊が廃棄されたトコロで、全く影響は無いに違いない。資源ごみに出すか?
持っていても読まんしなぁ・・・
だいたい「すてきなあなたに」ってタイトルが気に入らん。ワガハイならば「不敵なあなたに」とか「愚劣なあなたに」といったタイトルの本をまとめるだろう。
「怠惰なあなたに」などもイイ。
すてき・・・これは案外、ムズイよなぁ。
素で敵なんだからねぇ・・・
酢的、ならば・・・それはソレとしていけるかもしれんが。
あ!だから、ひらがな表記なのかもしれない。様々なイメージが喚起されるように・・・と。
本っていうのも、なかなか制作者の意図は勿論、場合によっては怨念までもが表出してしまっているケースもあるから怖いものがある。迂闊に捨てると呪われるかもしれん。ただ量産されているから、その呪もン千分の一とかに薄められはするかもしれないが。
もう、執筆者に至ってはどエリャ~~苦労して作っていたりするから、ホントウは廃棄するなどと書いていると睨まれるだろう。「私の作品なんですよ!苦労して生みだしたんですよ!」
昔、知り合いの奥様が執筆された本が送られてきたコトがあった。ワガハイは早く読んでおいた方がイイだろうと思った。お会いした際に感想を聞かれて「まだ読んでいません」と言うのも失礼だろうと思ったのだ。
それで読みかけの本を中断して、頂いた本を読み上げた。そしてその執筆者とバッタリお会いする機会が、あまりにも早く訪れた。ああ、読んでおいてヨカッタ!と思ったんだけどねぇ・・・
「えぇぇーーーっ!もう読んじゃったんですか!!私がどれだけの時間を掛けて書いたか分かってるんですか!」
凄い勢いで叱られてしまった。
コチラだって時間を割いて読んだんだけどねぇ・・・
というワケで、この例は特殊かもしれないけれど、出版されたからと「贈呈」などといった紙片を挟んで送られてきても・・・微妙に警戒心が沸き上がってくるようになった。
出版・・・安易にしてはならない行為。
周りに迷惑が掛かるぞぃ!
出版に協力するのも要注意!かつてギャラを現物支給された話しは多く、ワガハイも資料と一部の原稿を提供した際に現物支給されたコトがあった。突然、お礼状とともに送られてくる出版物。後が困るから。
掲載誌は一冊送ってくれれば、それで良いのだ。