
祖父が亡くなったのは昭和の終わり頃だったか、平成の始まりの頃だった。その後、多くの細かな遺品は叔母の手元で保管されていたが、その叔母Aも亡くなって久しい。そしてその遺品は処分されたのだが・・・親族が集まった際に無視されて残ったモノたちの処分に叔父がヘタっていた。
そういう状況で「悦朗君が欲しいモノがあったら、持って行っていいよ」と、声が掛かった。そもそも金銭的な価値ある物品など無かったのだが、更に本などは兄弟連中にとってはな~んの興味もなかったらしい。それで叔父はブックオフなどに持って行ったものの引き取ってくれなかった・・・と。
そういう状態になってはじめて、ワガハイに声が掛かったというワケだ。このまま資源ごみに捨てるのも勿体ないと思った叔父の判断は正しかった。その中には、ワガハイの幼少期の思い出の本も数冊含まれていたのだから。
っていうか、叔母Bの蔵書印が押された「智恵子抄」も見つかったのだけれど・・・叔母Bは遺品整理に参加したはずなんだが・・・姉(叔母A)の遺品の衣類や着物に目が奪われて、己のかつて大切にしていた「智恵子抄」には気付かなかったようだ。
なんだろうねぇ・・・その本を見つけた時にワガハイは、当時はとても大切にしていた本だったと分かってしまったのだ。戦後間もない物資困窮の高校生活の中で、僅かな書物の中の「智恵子抄」だったのだ。それは叔母Bにとっての思い出の本の筈なのだ。
というコトで、ワガハイはご丁寧にもその本を叔母Bに送付しておいた。
当人は、全くその本のコトを忘れていた。
ま、完全に高村光太郎は卒業した人生を送っているというコトではあろう。
ま・・・イイけど。
な~んか、マヌケな「ありがとう・・・」という言葉を貰ったワガハイだった。
ワガハイは、ブックオフに見捨てられた本の山の中にお宝を見つけて狂喜したんだけどねぇ。
それで・・・この地図帳は祖父が傍らに置いていたもので、ニュースで地名や国名が出て来て分からないと、コレを開いて確認していた。ワガハイにとっては良い思い出の祖父だったから、この地図が我が手元にやって来たことは嬉しかった。
でも・・・親族でも、この色褪せて製本が怪しくなった地図なんてゴミ同然なのだった。だれも祖父がこの地図を手に取っていた姿さえ、思い出す者はいなかった。
というワケで、記憶している者にとっては意味のある地図であり、頓着のない者にとってはゴミという、それがモノの価値観ではあるから致し方ない。でも、どの様なモノでも、価値っていうのはそ~ゆ~モンだからねぇ。
ピカソだって、知らぬ者にとってはヘンな絵にしか見えん。デタラメの絵にしか見えん!そしてワガハイのように絵画市場的・社会的価値が分かっていようと、我が個人評価は大して高くない場合もある。ゴミとは思わんケド。
ま、個人的な思い出は置いておくとして・・・ページを開いてみた。

この「日本の地形」という見出しの見開きページの内容は、なかなか微妙に当時の日本の国際的スタンスが現われていた。教科書問題が取り沙汰されることは承知の通り。どの様にこのような表記を扱うかは、国際問題にもなるからねぇ。
と、いうワケで、なかなかのトリミングの仕方なんだなぁ・・・と思ったワケだ。
北方領土辺りの入れ方も、なんと言うか・・・いろいろな異論反論を前提とした考慮がされているような感じだよなぁ。
ま、決定的なのは沖縄が入ってない、のだった(別ページには小さく掲載されていた)。
で、これはいったい、何時の発行なのだろう?
奥付は・・・ない。
アチコチを探す・・・

昭和29年の検定なんだなぁ・・・
さて、これは断捨離するか?
否か??