半日と言わず、2時間程のダレた散歩での撮影で得たネタを使って、何日も引っ張り続ける老人である。
かなり以前になったが、ブログの一日量の目標は1700字前後にしたいと書いた。だが、現実は2000字をやや超えてくる日が多い(今日もそう)。400字詰め原稿用紙5枚。それは小学校5年生ぐらいからの作文や読書感想文といった宿題では、だいたい一気書きして原稿用紙5~6枚になるものだった。
そこから推敲を重ねて課題の字数量に収めていく・・・もっとも、推敲していたらほとんどが無駄な内容で、本論が100字にも満たない時もあった。
それは今でも・・・同じか?
今日だって、ど~せ「ディープ小田原」で続きを書くのだ。だが前振りで400字近くを消費している。原稿用紙一枚分が前振りだからねぇ・・・。
というワケ?で、上リンクの続きネタとなる。だが、昨日の内容には既に以前のネタの焼き直し的な部分もあった。当ブログではじめてバキュームカー横転事故のコトを書いたのは・・・
小田原市南町エリアの文化ゾーン的なトコロを書きながら、終りはバキュームカーネタという2023年7月30日だった。今回は遂に現場レポートとなったワケで、大いなる進歩といえるかもしれない。
小さな快挙!
昨日書いた内容と若干だがディテールは異なっている点は、突っ込まないでほしい。昔のコトで記憶が不正確なのだから。ただし、事故があったコトには違いない。この件について興味のある方は、ご自身で調査されたい。
でも・・・新聞の縮刷版っていうのも、全ての記事が網羅されてはいないからなぁ。

昨日の現場から20メートル程度上ったトコロには、昭和の時代から怪しい建物があった。それは気付いた時から廃墟化がジワジワと進行していたのだった。
この物件に関しては「廃墟マニア」の幾つかのサイトに詳しいネタあり。だからワガハイが改めて述べる必要もなく、ワガハイも詳細は知らない。ただ、幾つかのマニアさんの記述を読ませてもらったけれど、ワガハイの記憶との齟齬もある。
本気でしらべるならば登記簿の閲覧などもしなければならんだろう(探偵業でもないのに、ソコまでやる気はしないし、ソコまでこの物件への興味があるワケでもないからやらないケド)。
かつて、ココには「十仁病院」というのがあった。ソコまでは昔々、看板も見かけたから覚えている。だけど診療していたような印象は、ワガハイの記憶にはない。廃墟化していく姿の記憶しかない。それに知人関係に、この病院で診察をされたという人もいなかった。
まあ、ワガハイの地元でもないし、頻繁にココに来るコトもなかったのだから、記憶が曖昧なのは当然。でもず~っと廃墟の印象しかなかったけれど、いよいよ朽ち果てて土に還っているとか、或いは再開発でもされたかと思っていた。
だが、ン十年ぶりに行ってみれば、まだ残骸は残っていた。背景は竹藪であり、その竹がドンドンと侵攻している感じだった。「立入禁止」の掲示は比較的新しかったので、コレはこれなりに管理されているのだろう。
管理は医療法人なのか不動産屋なのかは知らん。でも、この状態が続いているトコロを見ると、あまり物件として魅力的ではないのだろう。
元病院っていうのは・・・あまり印象的にも良くはないか?
https://maps.app.goo.gl/n6G9Khp1h6K7QhE5A

更に数十メートル上がると、上画像のように視界が開ける。相模湾が見える。国土地理院のサイトで確認すると標高54.5メートルだ。まあ・・・ここまで上がってくれば万一の時にも津波からは逃れられるだろう。でもそれは老人には不可能な感じ。
ここまでやって来るまでには階段や法面の崩壊があって、通行不可かもしれないではないか。
ノンビリと坂道を上っている。日差しは強く、暖かいというよりもやや暑くなってきたけれど、スローペースだから汗ばむコトもなかった。風はまだ冷たかったなぁ。あと少し上り坂が続くけれど、ココまで来れば傾斜は緩い。次回はこれぞ小田原城という「八幡山」界隈のネタとなる・・・と思う。